ただいま歌舞伎座で上演されている
三月大歌舞伎!
夜の部「盛綱陣屋」は数ある演目の中でも名作として知られていますので、
この機会に少しばかりお話したいと思います。
芝居見物の楽しみのお役に立てれば幸いです!
高綱の首を見た小四郎は…
盛綱陣屋(もりつなじんや)は正式な題名を
近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)といって、
1769年(明和6年)の12月に大坂は竹本座で初演された人形浄瑠璃の演目です。
歌舞伎ではその翌年の1770年(明和6年)5月に、同じく大坂にて初演されています。
芝居の設定は鎌倉時代でありながら実は大坂の陣を描いたものであり
佐々木盛綱・高綱兄弟は真田信幸・幸村兄弟を、
北条時政は徳川家康をモデルとしているというお話はいたしましたが、
初めてご覧になる場合は少し複雑かと思われますので、
ざっくりとしたあらすじをお話しております。
その四では、囚われた我が子を心配して
小四郎くんのお母さん篝火(かがりび)さんが盛綱の陣屋へ
忍び込んでくるところまでをお話いたしました。
おばあさんの微妙さんから白い死に装束と
切腹用の九寸五分を見せられた小四郎くんは、
腹を切ることを勧められているということは理解するものの
お母さんの気配がしているので一目会いたくなってしまい、
つい逃げ回ってお母さんのいる方へ逃げ出そうとしてしまいます。
そんなようすを見ていてはお母さんもおばあさんもたまりません…
さむらいの家の女性であっても、切るに切れないのです。
おおお…と悲しむところへ、
ジャンジャンジャンと陣鉦太鼓の音が聞こえて
舞台の上がにわかに騒がしくなります。
お芝居でこの音が聞こえてきたときは「戦だぞ!」という合図です。
盛綱はこの音を聞いて小三郎を時政の陣屋に向かわせますが、
ご注進!ご注進!と慌ててやってくるさむらいたちの話で、
高綱は討ち死にし、首を取られたということが判明します…。
高綱討ちとったり!ということで、ぞろぞろと家臣たちを従えて
意気揚々と盛綱の陣屋にやってきたのは北条時政です。
なぜここにやってきたのかというと、
討ち取った高綱の首を実の兄である盛綱に見せて
本物の高綱かどうかを確認したいからであります。
これは「首実検」という戦場の作法で、
室町時代ごろからできあがってきていたようです。
盛綱はこの命令を受け粛々と首実検を始めます。
高綱の首が入っているという首桶の蓋を開けると、
「父上!」との声が…
なんと小四郎くんが首桶の中身を見て駆け寄り、
自らの腹に刀を突きたてたのです…!
なぜ…!というところで、次回に続きます。
参考文献:新版歌舞伎事典/日本大百科全書/世界大百科事典