ただいま歌舞伎座で上演中の六月大歌舞伎!
夜の部は人気脚本家の三谷幸喜さんによる三谷かぶきが話題を呼んでいますが、
昼の部も古典歌舞伎の名作が並んでおり見逃せません。
特に「梶原平三誉石切」は、上演頻度の高い演目であります。
先日、過去のお話をまとめましたがお話したりませんので、
今月はこの続きをお話してまいりたいと思います。
芝居見物のお役に立てればうれしく思います!
石橋山の合戦を終えて…
梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)は、
1730年(享保15年)2月に大坂は竹本座にて人形浄瑠璃として初演された演目。
その半年後、同じく大坂は角の芝居にて歌舞伎として上演されました。
1600年ごろ生まれた歌舞伎の400年の歴史のなかでは比較的古い演目です。
古い演目というのは、現代の人々が見ているテレビドラマのように
人間関係が絡み合い複雑な心理を描き出すようなものではなく、
たいへんおおらかな内容であることが多いものであります。
梶原平三誉石切もそのようなものではありますが、
内容がおおらかであり、長い長い歴史を持つからこそ
代々のたくさんの役者さんによって所作の一つ一つに細かい工夫の凝らされた
様式的なかっこよさが際立つという魅力もあるのかなと思います。
ごく簡単に物語のあらすじをお話してみたいと思います。
舞台は、鎌倉の鶴岡八幡宮。
いかめしいさむらいたちがぞろぞろと集って
弓の稽古をしているようすからお芝居がはじまります。
この人たちは、先の石橋山の合戦で大勝利を収めた平家のさむらい。
みな同じ平家同士とはいえ、味方だから仲が良いというわけではなさそうです。
さむらいたちは梶原平三景時方の人々と大庭三郎景親方の人々と二手に分かれており、
どちらが戦の手柄を立てたのかという話題には敏感。
大庭三郎景親の弟・俣野五郎景久の源氏の武将を討ち取る戦功も、
梶原方のさむらいたちに言わせればただ運がよかっただけ…と
なにやらぴりぴりとした雰囲気も漂っています。
と、そこへ、梶原平三景時が鶴岡八幡宮の参詣にやってきます。
梶原景時と大場景親・俣野景久兄弟はそもそもそりが合わないもの同士。
付き従う人々がぴりぴりするのもやむを得ない状況ですが、
梶原はまあ盃でも交わしましょうよと大人な対応を見せています。
そんな折、青貝師という現代では聞きなれぬ職業のおじさまと
その娘さんが連れ立ってやってきます。
この二人はいったい何者なのか?というところで次回に続きます。