今月上演されていた六月大歌舞伎!
昼の部「封印切」が素晴らしく、
このすえひろにとって一生の思い出となりました。
封印切の流れをざっとお話しますと
仁左衛門さんがお勤めの忠兵衛が、
孝太郎さんがお勤めの恋人・梅川の身請けのお金が用意できず
愛之助さんがお勤めの八右衛門に何やかやとからかわれ挑発された挙句に
「俺は金のあるのが因果、お前は金のないのが因果」などと言われ、
公金の封を切るという死刑レベルの大罪を犯してしまう…というもの。
八右衛門の挑発にカッとなりどんどんこらえきれなくなっていく忠兵衛の姿…
行く末を知った上で見ていますと、
深呼吸して落ち着いて、ちょっと待って、と感情の暴走を止めたくなってしまいますが
そんなことはお構いなしに次から次へと展開していく上方らしいしゃべりの掛け合い、
思わず笑ってしまうような部分もあり目が離せません。
そんな掛け合いの中で、気になる一言がありました。
それは「えびす小判ちゃうか」「なんでえびす小判やねん」などというもの。
戎金(えびすがね)といえばにせもののお金のことですが
なぜにえびすというのだろう?ということが気になり、
上方の香りがしたために少しばかり調べてみました。
通称「えべっさん」
そもそも戎金(えびすがね)とは、
大阪は浪速区にあります今宮神社で毎年1月10日に行われる
「十日戎」なる商売繁盛の行事で売られた模造の小判や一分銀のことなのだそう。
戎金は上方落語の「恵比寿小判」にも登場します!
ざっくりとした筋は、
1.男が恵比寿様に福をくれと願っていたら、7日目に恵比寿様が出現して両手に小判を一枚ずつくれた。
2.男は、恵比寿さんに金もろたところで「戎金」やがな…と疑ってしまった。
3.するとおでこに小判が2枚、ピタッとくっついてしまった!
4.ご隠居に見てもらうと、これは戎金どころか慶長小判。「片方なら取れる」という。どうやって?
5.「鼻の頭に桂馬を打て」
というものであります。
「恵比寿小判」=「かざりであって金ではない」というのは
上方では落語になるほど共通認識であったのだなあとおもしろく思います。
そんな十日戎は主に西日本で行われる行事で、
商売繁盛を祈って小判や米俵など景気も縁起も良いアイテムを付けた「福笹」が売られます。
江戸時代もこの福笹を求める人々でそれはそれはにぎわい、
お正月を超える盛り上がりをみせたようです。
商売繁盛のため福笹をもとめて賑わいながらも、
まあもらう小判はにせものなんだけどねというスタンスに
レベルの高いユーモアと知性を感じます。
現代でも今宮戎神社の十日戎は一大イベントで
「商売繁盛でササ持って来い」と言う景気の良いお囃子が鳴り響くとのこと。
なんとも商売の町らしい風習、なんだか心が躍るようであります!
参考文献:日国友の会ジャパンナレッジ/朝日新聞