早いもので八月も今日でおわり…
今月は夏の恒例となっている八月納涼歌舞伎を楽しく拝見し、
女形という生き方について深く考えるひと月でありました。
女形ってなんだろう
以前なにかの本で、江戸時代の名優が、
楽屋で鏡の前に座ってしわ深くなった顔におしろいを塗りながら
「どうして世間の人たちが隠居するような年齢になってまで
私は女の格好をしなければならないのだろう」と
その屈辱に楽屋でぼろぼろ涙を流していた…というくだりを読みました。
それがフィクションであったか史実に基づくものであったか失念してしまいましたが、
その描写から思い浮かべた映像は、強烈に胸に残っています。
写楽の役者絵でも、美貌の女形とされていた役者たちが奇怪に描かれていて、
女形の方々が背負わされていた宿命、かなしみのようなものが見えるようです。
拝見したばかりのときにには頭のなかが混乱していた「雪之丞変化」が
日を追うごとにじわりじわりと自分の中に浸透していったのか、
「伽羅先代萩」で政岡に挑む七之助さんのようすを拝見していて、
女形の先人たち、玉三郎さんのこれまで、そして七之助さんのこれからを思い、
はるかなる芸の道に気が遠くなるような思いがしました。
姿かたちが美しい男性なら世の中にたくさんいますけれども、
女形の方の道はそのような見た目の要素だけで語れる世界ではないと思います。
また女性のなかには、美しい女形の方をご覧になり
「わたし女なのに負けちゃった」と冗談でおっしゃる方が多くおいでですが、
女形の方々が作り上げているのは実際の女性と並列に語ることのできない世界だと
個人的には考えております。
見た目の美しさだけでもなければ女性と同様でも決してない、
では一体女形とはなんなのか?なぜ生涯かけて女性を演じる道を選んだのか?
なぜこんなにも美しく感じられるのか?という、「謎」や「矛盾」こそが
舞台の上の女形の存在に引き込まれてしまうゆえんなのではないでしょうか。
今月の玉三郎さんと七之助さんの姿は、
今後歌舞伎の女形という存在を考えていくうえで
なんども思い出されるものになりそうです。
来月はどんな芝居が待っているのでしょうか。
楽しみに今日は休みたいと思います。おやすみなさいませ。