歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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小栗判官とは何者なのか? その一

新橋演舞場で10月・11月と二カ月にわたり上演され、

2020年2月には博多座、3月には南座と上演される

スーパー歌舞伎Ⅱ オグリ

スーパー歌舞伎ならではの斬新な演出で非常に話題を呼んでおります!

 

このすえひろは11月に拝見してまいりましたが、

どうしても湧き上がるのはやはり、小栗判官とは一体何者なのか…?という思いであります。

 

歴史上の人物のような名前ですがそうではなくあくまでも伝説上の人だそうですが、

それならばどのようにして生まれて、どのようにして現代まで伝わってきたのだろうか…

ということが気になり、少しばかり調べてみました。

しかしながら調べれば調べるほど深みにはまり混沌としてまいりました…

すべてまとめ上げる自信がありませんので、ひとまずざっくりとだけお話してみたいと思います。

もともとは「説教節」の代表作

まず基本情報をおさらいいたしますと、

そもそも「小栗判官」というのは、中世から近世にかけて行われていた

宗教と娯楽を併せ持った浄瑠璃であります「説教節」「説教浄瑠璃」の曲名であります。

語りながら放浪したり、家々の前などで演奏されたりして伝えられてきたもので、

そういった特性から初演や作者は不明のようですが、だいたい室町時代とされています。

 

説教節・説教浄瑠璃はそもそも仏教の教えを広めたり、

寄付を募ってお寺や仏像を修復するために、

お坊さんたちが土地の伝説などに仏教的脚色をくわえて、

語り物として演奏して聞かせていたものを始まりとする音楽であります。

内容としては主人公が社会的に過酷な境遇に置かれたり

身体的不自由を運命づけられていたりすることが多く、

そうした苦難とともに生きるさまが教えとなっていたようです。

 

仏教を広めるための宗教性のある音楽…と聞いて現代の感覚からイメージしますと、

なにやらキリスト経の讃美歌のようなものが思い浮かび、

お坊さんたちが人々を集めて真面目に語って聞かせて、

人々もそれを粛々と受けとり仏の道の学びとしていたのかなあと思われますが、

そこだけにはとどまらなかった…というのが日本の文化のおもしろいところかと思います。

 

仏教の布教から生まれたはずの説教節は、

次第に本来の目的から離れ、三味線や人形などを使って俗化していき、

独特の呪術的なムードと仏教の世界観を残しながらも、

特に悲壮感を強く感じさせ、人々の感動を呼び起こすようなエンタメと化していったのであります。

 

小栗判官は、そんな説教節の代表的5曲である五説経のひとつに数えられているものです。

五説経にはほかに「しんとく丸」や「さんしょう太夫」などがあり、

小説や演劇でも知られる題名が並んでいますね。

こうした構図のエンタメ作品は現代のテレビや映画などにも数多く存在しますが、

もしかしたら説教節も、そのルーツのひとつと言えるのかもしれません。

長くなりましたのでその二に続きます!

 

参考文献:朝日日本歴史人物事典/日本大百科事典/障害保健福祉研究情報システム

説経節『小栗判官』成立再考 松尾剛次

説経浄瑠璃に見る「生活の中の仏教」 千葉俊一 

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