昨日と変わらず新型コロナウイルスの話題が世の中を席捲しており、
鬱々としたムードが漂っている状況であります…
日本では古来より災害や疫病の流行などの困難に見舞われ社会が不安に陥りますと、
仏さまを作ってみる、舞や音楽を奏でて神仏に捧げてみるなどの取り組みをして、
人知を超えた力を鎮めようとしてきたという歴史があります。
そのようなことを考えておりまして、そういえば全国の地歌舞伎の中に、
疫病を鎮めるために始まったものはないのだろうか…ということが気になり、
少し調べてみましたら福井県美浜町早瀬地区の早瀬子供歌舞伎なる芸能に行きつきました!
なんでも早瀬子供歌舞伎は文化10年に地域で流行したコレラをきっかけとして始まったものだそうです。
この疫病はなんと40年にわたり続き、神の祟りだと考える村の人々を苦しめ続けたのでした。
そこで安政4年瑞光寺なるお寺の和尚さんが託宣を受けて「子供歌舞伎」の奉納を発案。
それを実行してみますと、見事にコレラの流行が収まったのだそうであります!
しかしこれでめでたしめでたしとはならないのが不思議なもので、
安心した村の人々が子供歌舞伎の奉納をやめてしまいますと、再びコレラが発生…
日本海に面した早瀬地区は海上交通の要衝であったそうですから、
おそらくこの数年の間に人の流入、気候の変動、食生活の変化などがあったのではと思われますが、
人々は子供歌舞伎が重要であると考え、奉納を再開したのだそうであります。
一時は途絶えた早瀬子供歌舞伎でしたが、地元の人々の手で昭和56年に復活。
現在も保存会により受け継がれ、地元の小学生の男の子たちが三月下旬より稽古に励み、
毎年5月5日のこどもの日に上演されています。
早瀬子供歌舞伎で子供たちが勤めるのは「寿式三番叟」
能の翁を取り入れた儀式舞で、歌舞伎においては軽快なものもありますが、
顔見世の初日などに神聖な意味合いを持って舞われたものです。
youtubeに紹介動画を公開してくださっている方がいらしたため拝見してみますと、
声ののびやかさや動きのキレ、またこの美しい風景との調和などが素晴らしく…
謎の病に怯える江戸時代の早瀬の人々が子供歌舞伎に救いを求め、
拝む思いで見ている風景を思い浮かべ、なんだかほろほろと泣けてきてしまいました。
ウイルスで儚く命を落としてしまう人間という生き物の弱さを改めて実感するとともに、
こうした美しきものを救いとして生きていくことができる強さもまた人間であるなと感じ入ります。
参考文献:広報みはま/美浜町観光戦略課/新版歌舞伎事典