昨今、部屋に散り散りになっていた本をジャンルごとにまとめる作業をしているなかで、「役者絵と描かれている演目、そして役者本人について調べて情報をまとめたい」という思いが抑えられなくなりました…。途方に暮れてしまいそうな作業で遠ざけていたのですが、やるなら今しかなさそうです。
個人的な趣味で、備忘録がてらまとめておきます。随時情報を書き加えるつもりです。ご興味お持ちでしたらお役立ていただければ嬉しく思います。
東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」
出典:The Metropolitan Museum of Art パブリックドメイン
上演・・・寛政六年(1794)五月五日初日 河原崎座
演目・・・恋女房染分手綱
役名・・・奴江戸兵衛
役者・・・三代目大谷鬼次
内容・場面
恋女房染分手綱
いわゆる「重の井子別れ」に至るまでの前半冒頭。
由留木家の家臣・伊達与作の奴・一平が、同じく由留木家家臣の悪役鷲塚八平次に雇われた江戸兵衛から金子300両を奪われる場面。江戸兵衛は無頼の悪党といった役どころ。
三代目大谷鬼次
生没年:宝暦11年(1761)~寛政8年(1796)11月7日 享年36歳
名乗った期間:天明7年(1787)11月~寛政6年(1894)10月
屋号:摂津屋
名乗りの経歴:大谷永助→二代目大谷春次→三代目大谷鬼次→二代目中村仲蔵
三代目大谷広次の門弟 通称は鬼次仲蔵
まとめ
浮世絵といえばこれというような作品。世界的に有名な、東洲斎写楽第一期の大首絵です。写楽らしい手の奇妙なデフォルメ加減と独特の表情により、三代目大谷鬼次迫真の見得のすごみを感じることができます。いかにも悪人という風情です。
調べてみると三代目鬼次が二代目中村仲蔵を襲名したのはこの大首絵に描かれた時点から約5カ月後であることがわかりました。
初代中村仲蔵といえば、忠臣蔵の定九郎の工夫をきっかけに門閥外から大出世したことで有名な人物です。三代目鬼次はそんな初代仲蔵の芸を慕い、よく吸収していたとのこと。
確かにこの大首絵を見るに、仲蔵とたたずまいがかなり似ているような気がします!大出世を果たした仲蔵の二代目を名乗ることを許されたということから、相当の期待をかけられていのではないかなあと伺えます。
しかしその2年後、なんと36歳の若さで没したそうです。江戸時代の話ですが、なんだか残念でたまりません…
大谷鬼次の名跡は四代目を最後に現在絶えていますが、三代目鬼次はなかなか魅力的な役者であったように思われ、彼が長生きしていたら歴史は変わっていたのかなあ…現在まで名跡が残っていたかもしれないなあ…などと思いを馳せました。
参考文献:歌舞伎俳優名跡便覧 第五次修訂版/増補版歌舞伎手帖/写楽展/日本大百科全書