歌舞伎座で昨日まで上演されていた八月花形歌舞伎!新型コロナウイルス感染拡大後長らく閉鎖されていた歌舞伎座がようやく再開場という、記念すべき公演でありました。
第三部で上演された演目「吉野山」にちなみまして、歌舞伎のことばについてお話したいと思います。
さまざまなご事情でしばらく歌舞伎座へお出かけになることができない方にも、この先事態が終息した安心して芝居見物ができるようになった暁に何らかのお役に立てればうれしく思います。
近松門左衛門と「道行」
「吉野山」は、道行初音旅(みちゆきはつねのたび)」というまたの名からもわかるように、「道行(みちゆき)」あるいは「道行物(みちゆきもの)」と呼ばれるジャンルの歌舞伎舞踊であります。
歌舞伎舞踊の「道行」というのは一体どういったものかと申しますと、目的地へ向かう途中の景色を織り込みながら、登場人物の心情を表現するというものです。
主人公の多くは男女。
しかもワケありの男女が、いろいろとあって落ちぶれたり、罪を犯して逃避行したり、どうにもならない事情により心中するために旅していたり…という切ないようすを表しています。
そのほか「吉野山(義経千本桜)」のような主従関係のものや、「道行恋苧環(妹背山娘庭訓)」のような三角関係のもの、「道行旅路の嫁入(仮名手本忠臣蔵)」のような親子関係のものなども存在しています。
時代物の場合は五段構成のうち四段目の口に、世話物の場合は三巻構成のうち下の巻に置かれるというのが原則となっているようです。
さきほど「歌舞伎のことば」と申しましたが、道行そのものは全く歌舞伎に限ったことではありませんで、人が旅をして目的地に着くまでの地名や風景をいろいろと描くというスタイルは「万葉集」などの日本の文学や芸能のさまざまなジャンルに現れています。
しかしながら目的地へ向かう人物の「心情」までも濃厚に表現しようというスタイルの道行は、人形浄瑠璃や歌舞伎で独自の発展を遂げた結果であります。
キーパーソンとなるのは日本のシェイクスピアとも呼ばれる近松門左衛門。
市井の人々の物語である世話浄瑠璃に道行を盛り込みはじめた近松は、男女の悲しい心中物語を描いたヒット作「曽根崎心中」以降、道行と「心中へと向かう男女の旅」を巧みに結びつかせ、切なくも美しき旅路の浄瑠璃を描き出すことに成功したのです。
こうして美化されてしまった心中はお上から問題視され、享保8 (1723) 年に心中禁止令が出されてしまってからは風景描写に重きが移りますが、それでも道行人気は衰えなかったようです。
寛保年間 (1741~1744) 頃になり歌舞伎でも上演されるようになった道行は、人形浄瑠璃の音楽である義太夫節だけでなく、清元、常磐津、豊後節などの音楽でもさかんにつくられはじめ、「道行物」という舞踊の一ジャンルを築くまでに発展します。
寛保年間(1741~1744)にはお正月の公演の最後の演目には必ず道行浄瑠璃を上演するようになっていたそうですから、人気のほどがうかがえます。
いやはや、このブログで何度も何度も何度も何度も申しておりますが、近松門左衛門ってあまりにも天才がすぎるのではないでしょうか…?
地名の列挙であった道行に、心中への旅の心情までもを込めて流麗な詞章を仕上げてみようと思ったそのセンスには驚かされます。。
もし近松が浄瑠璃作者になっていなければ、日本のフィクションの発展は数十年ないしは数百年遅れていたのではないかと個人的には考えており、改めて感謝と尊敬の思いでいっぱいになってしまいました。
それはさておき、歌舞伎の舞台での上演頻度の高い道行物は下記のようなものがあります。
「道行初音旅」(吉野山・義経千本桜)
「道行旅路の花聟 」(落人・仮名手本忠臣蔵)
「道行旅路の嫁入」(仮名手本忠臣蔵)
このほかにもたくさんありますので、上演の際にはぜひチェックなさってみてください!
参考文献:新版歌舞伎事典/ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典/日本大百科全書(ニッポニカ)/道行研究ー近松世話浄瑠璃における 木坂元子