歌舞伎座で先日まで上演されていた八月花形歌舞伎!新型コロナウイルス感染拡大後長らく閉鎖されていた歌舞伎座がようやく再開場という、記念すべき公演でありました。
第四部で上演された演目「与話情浮名横櫛」にちなみまして、歌舞伎のお芝居でよく出てくることばについてお話したいと思います。
さまざまなご事情でしばらく歌舞伎座へお出かけになることができない方にも、この先事態が終息した安心して芝居見物ができるようになった暁に何らかのお役に立てればうれしく思います。
「臍の緒書」ってどんなもの?
「与話情浮名横櫛」は訳ありの男女が再会する大人の恋物語。
地元のやくざの女であるお富と一目惚れの恋に落ちてしまった与三郎が、やくざにメッタ斬りされて身も心もぼろぼろになり、ゆすりたかりで暮らしていたところ、別の男に囲われているお富に再会して云々…というものです。
幕切れのシーンで、お富が自分を囲って世話している多左衛門という男から守り袋のようなものを渡され、慌てて中身を確認のうえ「兄さん!」と驚き入る…というくだりがあります。
この守り袋には出生証明である「臍の緒書(ほぞのおがき)」なるものが入っていて、そこに多左衛門の出生の詳細が書かれており、それを読むことでお富は自分と多左衛門が実の兄妹であったということを知ったのです。
歌舞伎のお芝居にはこの「臍の緒書(ほぞのおがき)」というアイテムがよく出てきまして、「登場人物同士が実は肉親であった」ということが発覚する場面でのお約束として使われます。
現代の目線で拝見していますといかにもお芝居らしい都合の良い展開のように思えますが、江戸時代においては人さらいに遭ったり行方不明になってしまった子供を発見するのは現代と比較にならないほど難しかっただろうなと思われ、見物している人々も共感を持って見ることができたのではないでしょうか。
芝居の中ではなく、実際に人々が所持していた臍の緒書というのは一体どういったものであったのかなということが気になり、少し調べてみました。
そもそも臍の緒書とは、赤ちゃんが生まれたときにその臍の緒を包み、生年月日や両親の名を記しておいた紙のことを指しますが、実物の写真となりますと個人の方がブログで公開されているもの以外では見つかりませんでした。
しかし永井荷風の「下谷叢話」(春陽堂・大正15年)の中に詳しい描写があります。幕末から明治のの漢詩人・大沼枕山の臍の緒書についてです。
わたくしが竹渓の晩年移居した地を下谷御徒町と定めたのは大沼枕山の遺族を訪問した時、わたくしは特に許されて枕山が誕生の時の臍緒書を見た。
それに「文政元戌寅都市三月十九日暁六つ時於下谷御徒町拝領屋敷誕生、父次右衛門儀小笠原弾正組之節」と御家流の筆法で書いてあったが故である。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
大沼枕山は幕臣の子ですから庶民の臍緒書とは少し書き方が違った可能性もありますが、生まれた日付と両親の名の他に時刻、場所なども書かれたようです。
永井荷風がこの臍の緒書を根拠に大沼竹渓の晩年の居住地を特定していることから、当時の人々にとっては信憑性の高い情報源であったことを窺い知ることができます。
臍の緒書の実物は京都の清涼寺に奝然上人のものが納められています。しかしながらこちらは平安時代の人物で、生まれたのは1000年以上前という方ですから、江戸時代の臍の緒書とは違いそうな予感がいたします。
臍の緒書の起源はわかりませんが少なくとも1000年前から行われていたことが明らかです。臍の緒そのものが災難除けのまじないに使われた時代もあったらしく、この世に生まれたことを証明したうえ、我が身をも守る神聖なものと考えられていたようです。
ずっと新しい人物になりますと永井荷風の臍の緒書も残っており、昨年江戸東京博物館で行われた展示で公開されていたそうであります。
どちらも残念ながら画像は見つかりませんでしたが、いつの日か拝見するチャンスはありそうですね…!
参考文献:江戸語辞典/東京文化財研究所/国立国会図書館デジタルコレクション