歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

広告

やさしい双蝶々曲輪日記 引窓 その十一 江戸時代の窓

ただいま歌舞伎座にて上演中の九月大歌舞伎。新型コロナウイルスの感染防止対策として幕間なしの各部完全入れ替え、四部制にて上演されています!

第三部「双蝶々曲輪日記 引窓」は吉右衛門さんが濡髪をお勤めになっている珠玉の名舞台であります。過去にも少しばかりお話いたしましたが、説明不足のため改めてあらすじなどをお話してまいりたいと思います。

 

さまざまなご事情あるかと思いますが非常におすすめしたい一幕です…!!

お出かけの際、簡単な予習などにお役立ていただければ嬉しく思います。

江戸時代の窓

双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)は、1749年に大坂竹本座にて人形浄瑠璃として初演されたお芝居。江戸時代のスター職業のひとつである、おすもうさんを主役としている人気演目です。

長い物語のなかで「角力場」「引窓」の場面が特に人気で、現代でもこの二つの場面が繰り返し上演されています。

f:id:suehirochan:20200906171353j:plain

ぬれかミ・はなれごま 一陽斎豊国 見立三十六句撰  国立国会図書館デジタルコレクション

 

引窓」の内容を本当にざっくりと申しますとこのような具合です。

①町人・南与兵衛は、父の後妻のお幸、妻のお早と暮らしていたが、めでたく郷代官に取り立てられることになった。

②そんな与兵衛の家に、殺人を犯した力士の濡髪長五郎がやってくる。濡髪はお幸の実の子であり、母に一目会おうと思ったため。

③しかし与兵衛に与えられた最初の任務は「濡髪を召し捕ること」であった…お幸は濡髪を匿い、どうか見逃してほしいと懇願する。

④濡髪は与兵衛への義理のため縄にかかろうとするが、与兵衛は放生会にことよせて濡髪を落ち延びさせるのだった。

前回まで5回にわたり、あらすじを詳しくお話してまいりました。家族みんながそれぞれを思いあう、たいへん味わい深い人間ドラマでした。

 

そんな「双蝶々曲輪日記 引窓」で重要なアイテムとなるのが、南与兵衛の住まいに据え付けられた引窓でした。紐を引っ張って開閉することで家の中が明るくなったり暗くなったりするその仕掛けが、お尋ね人濡髪長五郎をどうにかして守ろうとする家族の思いを見事に表しています。

 

江戸時代の引き窓というのは実際にどんなものであったのかなということが気になり、少し調べてみました。実際に物語に出てくる八幡の里は藪が多くて暗かったそうで、この地の窓事情をぜひ知りたかったのですが、ピンポイントの情報は得ることができませんでした。その点は何卒ご了承くださいませ。情報を拾った暁には追記したいと思います。

 

さて、南与兵衛の家にあるタイプの引窓は、「天窓」や「大和窓」とも呼ばれたもので、室内の明り取りとしての役割だけでなく、台所で煮炊きした際にもくもくと上がる煙を排気するための換気窓でもあったそうです。

窓の上下には丸竹が渡されていて、縄や麻紐をつないで引っ張ることでガラガラと開閉するという仕組みでありました。木造建築で火を使う際の素晴らしい工夫であるなと驚きます。

 

 

f:id:suehirochan:20200919232403j:plain

この画像は、江戸の下町の長屋の街並みを再現した深川江戸資料館の解説書によるものです。

深川江戸資料館では朝から夜まで移ろう光が再現されていて、実際に建物の中で一日の変化を味わうことができる施設なのですが、実際にその場で過ごしてみた体感ですと、江戸の長屋は昼間であってもとにかく暗いという印象でした。

確かどの家にもついていたわけではなかったような気がしますし、家の中まで照らそうと思うとこの窓ではとても小さいのではないかと思われます。排気の実用重視というストイックな感じです。

 

 

f:id:suehirochan:20200919232357j:plain

対してこちらの画像は、江戸時代の大坂の街並みを再現した大坂市立住まいのミュージアムの図録にある、裏長屋の天窓のようすです。しっかりとした瓦屋根に大きめの天窓が並んでいます。長屋とはいえ、江戸に比べると随分と立派であるなと思われませんでしょうか?

 

谷直樹氏の論文「近世大坂の居住事情一一借家と長屋建を中心に一一」によりますと

「所以者何」によると,京・大坂の借家を比較して、
京都ハ借家建具大体家付,天窓の張替,井戸釣瓶等家主より。

大坂ハ建卸家の儘にて,内造作ハ家借り主より自分仕候

とある。借家といえば,今日では内部の建具も畳もそなわっているのが常職である。

しかし近世の大坂では「家付物」は外廻りの戸締まりだけで、

内造作、つまり内部の畳と建具は借家人が自分で工面するものとされていたのである。

とありました。京都では家主が天窓の張り替えもしてくれたが、大坂ではそうではなかったということでしょうか。

 

となりますと長屋であっても天窓がずらりと並んでいた大坂の町というのはやはり金銭的に豊かであったのかなと想像されます。深川江戸資料館の物理的な暗さが思い出され、さすが大坂であるなあと感心させられました。

 

参考文献:新版歌舞伎登場人物事典/増補版歌舞伎手帖 渡辺保/床本集/もう少し浄瑠璃を読もう 橋本治/石清水八幡宮/朝日新聞/日本大百科全書/深川江戸資料館展示解説書/大阪市立住まいのミュージアム図録 住まいのかたち暮らしのならい/近世大坂の居住事情一一借家と長屋建を中心に一一 谷 直樹

公演の詳細

www.kabuki-bito.jp

Copyright © 2013 SuehiroYoshikawa  All Rights Reserved.