歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい色彩間苅豆 その一 累伝説をもとに

ただいま歌舞伎座にて上演中の九月大歌舞伎。新型コロナウイルスの感染防止対策として幕間なしの各部完全入れ替え、四部制にて上演されています!

第二部「色彩間苅豆」は人気のある幸四郎さんと猿之助さんがお勤めになっている、古典怪談をもとにした悲しく恐ろしい悲恋の舞踊劇であります。

初めてご覧になる場合はナゾな部分も多いかと思いますので、少しばかりお話したいと思います。今月の芝居見物だけでなく、再び上演される際や映像公開の際の答え合わせのお役にも立てればうれしく思います。

 

累伝説をもとに

色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)は1823年(文政6)6月に江戸は森田座で初演された清元節の歌舞伎舞踊。作詞は松井幸三、作曲は初世清元斎兵衛で、「かさね」の通称でも知られる演目です。

 

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三代歌川豊国 見立三十六歌撰之内藤原敏行朝臣累の亡魂

国立国会図書館デジタルコレクション

怪奇・残忍・残酷・無惨といったハードなキーワードで語られ、現代においてもファンの多い江戸の名作者・四世鶴屋南北の「法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)」の中の一幕であったものが基になっています。

初演の際には、鶴屋南北の怪談でスターダムに躍り出た三代目菊五郎がかさねを、「歌舞伎十八番」を制定したことでも知られる名優・七代目團十郎が与右衛門を勤めました。

 

 

しかしながらどういうわけか1849年(嘉永2)以降は上演が途絶えてしまい、振りが不明となってしまっていたところを明治年間に復活。

1920年(大正9)尋常ならざる美男の名優・十五代目市村羽左衛門の与右衛門、そしてその羽左衛門と名コンビとして人気を博した名女形・六代目尾上梅幸のかさねで復活し、再び人気演目に帰り咲いたという経緯があります。

この二人の色彩間苅豆の舞台はさぞかし麗しかったことであろうと思われます。

 

そんな「色彩間苅豆」の下敷きになっているのは現在の茨城県常総市にあたる下総国羽生村につたわる怪談「累(かさね)」伝説。

承応から寛文、西暦で申しますと1652~73年ごろ、生まれつき容姿が優れなかった累という女性が、あまりの嫉妬深さのために夫の百姓・与右衛門に無惨にも殺されてしまい、怨霊となって一族を祟ったというものです。

与右衛門の後妻を次々に殺した累は高僧の力で成仏しますが、実は累が抱えた人生の不幸の背景には、父親から嫌われ殺された異母姉妹・助の怨霊がいたということが明らかになるのでした。

 

確かに恐ろしいのですが、なんとも言えない悲しさの漂うお話であります…

色彩間苅豆の内容については、次回よりざっくりとお話してまいりたいと思います!

 

 

参考文献:新版歌舞伎事典/増補版歌舞伎手帖 渡辺保/日本大百科全書/朝日日本歴史人物事典

公演の詳細

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