ただいま歌舞伎座ではお正月公演壽 初春大歌舞伎が上演中です!
吉右衛門さんが体調不良により休演なさっていることがとても心配ですが、新型コロナウイルスの影響による休演は今日までなく、その点では無事に公演が続いている状況であります。
そんな壽初春大歌舞伎の第一部「壽浅草柱建(ことほぎてはながたつどうはしらだて)」には題名の通り花形の人気役者さんたちが集っていて大変話題です!
新型コロナウイルスの影響で新春浅草歌舞伎が中止になってしまったことから、例年新春浅草歌舞伎でご活躍の方々が、浅草ゆかりに再構成した舞踊を披露されています。
今回初めてご覧になる方もおいでかと思いますので、補足情報を少しばかりお話いたします。何らかのお役に立てれば幸いです。
曽我兄弟の敵討ち
壽浅草柱建(ことほぎてはながたつどうはしらだて)は、曽我ものの舞踊である長唄の「新柱建」を再構成した作品です。しかし「曽我もの」とは一体なんなのでしょうか。
曽我五郎・曽我十郎 豊国 国立国会図書館デジタルコレクション
「曽我もの(曽我物)」とは、曽我十郎・五郎兄弟の仇討ちを題材とする「曽我物語」を脚色した演目の一ジャンルのことです。能楽や人形浄瑠璃、歌舞伎などなどあらゆる分野で信じられない数の作品が作られていて、今では実際の「曽我物語」よりも芸能作品の方がずっと有名になっているという状況かと思います。
なぜそのように多いのかと申しますと、江戸の歌舞伎界ではお正月に曽我ものを上演するというのが各芝居小屋のならいになったからなのであります。
曽我五郎は歌舞伎では荒事の豪快なヒーローとして様式化され、生前は敵討ちに苦心した人物でもあることから人々の同情を集めました。
それがやがて、荒ぶる死者を恐れてそれを神格化しようとするいわゆる「御霊信仰」的に崇められるようになり、宝暦6年(1709)のお正月に中村座や市村座などの江戸の芝居小屋で上演したところ、大当たりを取った…というのがその経緯だそうです。
もともとの「曽我物語」は鎌倉後期の軍記物語で、関東で作られ関東で伝わった関東武士の物語です。父を殺された十郎祐成・五郎時致の兄弟が、父の仇である源頼朝の重臣工藤祐経を、18年もの歳月をかけてようやく討ち果たすというものであります。
しかし壽浅草柱建を含む現在の歌舞伎の舞台では、「十郎・五郎が憎き工藤祐経との対面を果たすが、敵討ちはまた後日!」という場面が描かれることが多いです。
なんとも中途半端に感じられるかもしれませんが、それだけでも充分に綺麗でおもしろいので不思議です。
バイオレンスな敵討ちの場面ではなく、因縁の相手との対面の場面を様式的に見せ続けることで場面が次第に洗練され、なんだかカッコよくてありがたい気がする、おめでたい気がする、という感覚が残ってきたのかなと想像します。
曽我ものの演目は他に
「壽曽我対面」(ことぶきそがのたいめん)
「矢の根」(やのね)
「助六由縁江戸桜」(すけろくゆかりのえどざくら)
などがあります。機会がありましたらぜひ他の演目もご覧になってみてくださいませ。
参考文献:新版歌舞伎事典/ブリタニカ国際大百科事典