ただいま歌舞伎座ではお正月公演壽 初春大歌舞伎が上演中であります。
の第一部「壽浅草柱建(ことほぎてはながたつどうはしらだて)」には、題名の通り花形の人気役者さんたちが集っていて大変話題を呼んでいます。
今年は新型コロナウイルスの影響により、お正月恒例の新春浅草歌舞伎が中止になってしまったことから、例年新春浅草歌舞伎でご活躍の方々が、浅草ゆかりに再構成した舞踊を披露されています。
今回初めてご覧になる方もおいでかと思いますので、補足情報を少しばかりお話いたします。何らかのお役に立てれば幸いです。
「新柱建」と柱建のいろいろ
壽浅草柱建(ことほぎてはながたつどうはしらだて)は、曽我ものの舞踊である長唄の「新柱建(しんばしらだて)」を再構成した作品です。
「新柱建」は明治の作品でなかなか見る機会もなさそうですのでこの機会に調べたことをお話しておきたいと思います。
曽我五郎・曽我十郎 豊国 国立国会図書館デジタルコレクション
通称「新柱建」は元の外題を「一﨟職狩場棟上(いちろうしょく かりばのむねあげ)」といって、明治23年に東京は新富座で初演された演目。河竹黙阿弥が作詞しています。
当初の内容としては、富士の裾野にある狩場にて棟上げの柱建てを終えた工藤祐経、梶原景時、小林朝比奈が、ひとつ踊るというものでした。彼らは「曽我もの」における脇役であり、本来はスピンオフ的なおもしろさのある作品であったのだと思います。
これがいろいろと変化するうち昭和40年には曽我十郎・五郎の兄弟と工藤祐経の対面の形式もみられ、今回の「壽浅草柱建」では曽我ものの主役脇役が勢ぞろいした華やかな作品に仕上げられています。これが柱建の最終形態なのかなと思いますが、今後も進化するかもしれません。
この演目の前にも「柱建(はしらだて)」あるいは「柱立(はしらだて)」とされるものは、「風流妹背柱建」「建柱いろはの比翼紋」「寿柱建」など数多くあります。古くは土着の民俗芸能、木遣歌、三河万歳などなどさまざまに歌い踊り継がれてきたようです。
そもそも柱建というのは、昔の人々が建物を建てる時に、その土地の神さまや地霊などをなだめて祓い清め、いよいよ家の礎となる初めての柱を立てるという大切な儀式であったそうです。柱はただの物理的に頑丈な棒ではなくて、家の神さまの依り代としてなにより大切なものだと考えられてきたからですね。
神奈川では大工の棟梁が四隅の柱に向かって大きなお餅を投げたり、 静岡では小豆粥をお供えしたりといろいろな習俗があったようで、調べてみるとおもしろいものです。みなさまの地域ではいかがでしょうか。
参考文献:新版歌舞伎事典/ブリタニカ国際大百科事典/日本芸能の展開契機 中塩清臣/舞踊名作事典