ただいま歌舞伎座ではお正月公演壽 初春大歌舞伎が上演中です!
第二部「夕霧名残の正月」は、昨年亡くなられた坂田藤十郎さんを偲び、御子息の鴈治郎さんと扇雀さんによって上演されています。初代坂田藤十郎ゆかりの演目であり、それほど上演頻度も高くありませんので貴重な舞台です。
今回初めてご覧になる方もおいでかと思いますので、補足情報を少しばかりお話いたします。何らかのお役に立てればうれしく思います。
夕霧狂言
夕霧名残の正月(ゆうぎりなごりのしょうがつ)は、もともと延宝6年(1678)2月に大坂の荒木与次兵衛座にて初代坂田藤十郎によって初演された演目です。形こそ変わっていますが、実に340年以上も前に原形が生まれていたことになります。
清書七伊露八 もちつき夕霧伊左衛門 豊国 国立国会図書館デジタルコレクション
「夕霧名残の正月」の演目の題材となっているのは、大坂新町の名妓として名を馳せながらも若くして亡くなった実在の花魁・夕霧太夫と、その死を悲しむ恋人・藤屋伊左衛門。元禄期の名優であり和事の創設者として知られる初代坂田藤十郎によって、夕霧大夫が亡くなった翌月に初演されたということはその一でお話いたしました。
この「夕霧名残の正月」が評判となったために、題材を同じくする演目が数多く作られ、「夕霧狂言」というひとつのジャンルを築くほどになりました。『耳塵集』によれば、初代坂田藤十郎は生涯で十八度も夕霧狂言を演じたそうです。
夕霧狂言にはいろいろなお約束があります。
・夕霧と伊左衛門はラブラブ
・夕霧は患っているor亡くなっている ゆえに紫の病鉢巻などをしている
・伊左衛門は勘当され落ちぶれている ゆえに紙でできた粗末な着物「紙衣」を着ている
特に、お金持ちから落ちぶれてしまった伊左衛門のようすは「やつし事」と言われるお馴染みのスタイルで、魅力のにじむところです。
数ある夕霧狂言の中でもとりわけ有名なのが近松門左衛門の「夕霧阿波鳴渡(ゆうぎりあわのなると)」です。これは夕霧太夫の三十三回忌に初演されたもので、現在もよく上演されている「廓文章(通称・吉田屋)」のルーツとなりました。
そんな夕霧狂言の第一作といえる元禄期の「夕霧名残の正月」は、残念ながら当時の台本が残っていません。
ですので現在拝見できるのは、昨年お亡くなりになった藤十郎さんの四代目坂田藤十郎襲名披露の折に、絵入狂言本などさまざまな資料を手掛かりにして作られたものであります。
藤十郎さんは長らく上方歌舞伎の復興に取り組まれ、坂田藤十郎の名跡までも名乗られた方であるわけですから、この演目にどれほど強い思い入れを持たれていたか知れません。宝物のように大切に拝見したい一幕です。
参考文献:新版歌舞伎事典/ブリタニカ国際大百科事典/歌舞伎手帖/元禄歌舞伎攷/耳塵集