歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい桜姫東文章 その五 ざっくりとしたあらすじ②

ただいま歌舞伎座で上演中の四月大歌舞伎

第三部「桜姫東文章」は、孝夫時代の仁左衛門さんと玉三郎さんが孝玉コンビとして熱狂を巻き起こした伝説の舞台で、お二人による上演は1985年いらい実に36年ぶり。チケットも入手困難となり大きな話題を呼んでいます。

このすえひろもその一人なのですが、この演目を生で見るのは今回が初めてという方も大勢おいでのことと思われますので、上演を記念してお話してみたいと思います。

今月は上の巻として「三囲の場」までが上演され、続く場面が六月に下の巻として上演される運びです。ですので今月は上の巻にまつわる部分をお話いたします。なんらかのお役に立てればうれしく思います。

新清水の場 桜姫の左手が

桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)は、大南北と呼ばれた江戸の鬼才・四世鶴屋南北の代表的な作品の一つです。

一言で申せば、愛した稚児を失った高僧・清玄と、自らを犯した釣鐘権助に惚れたお姫様・桜姫が、因果の渦に飲み込まれ転がり落ちていく物語であります。高僧は破戒して怨霊となり、姫は権助によって女郎屋に売られるという、複雑怪奇かつアウトローな世界観が魅力です。

 

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①では、発端の「江の島稚児ヶ淵の場」までをお話いたしました。

恋人の稚児・白菊丸と心中を遂げることができなかった清玄。この出来事は17年後、思わぬ出会いに姿を変え、清玄の運命を大きく翻弄することになります。

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Seigen and Sakurahime Tsukioka Yoshitoshi LACMA Public domain

 

続く場面は、「新清水の場

江の島稚児ヶ淵での心中未遂から17年の歳月が過ぎ、桜咲く新清水長谷寺の春の情景です。舞台は現在も四季折々のお花の名所として知られる鎌倉の長谷寺であります。

 

 

この日は、吉田家の息女・桜姫が尼になるため、住職の清玄に剃髪しもらおうと、腰元たちを引き連れて参詣しています。清玄はあれから17年の間に、立派な高僧となっていたのでした。

まだ17歳という若さの桜姫。尼になりこの長谷寺の草庵に暮らすというのは、いくらなんでも思いとどまった方がいいのではないかと、吉田家の人々や長谷寺のお坊さんたちは思っています。しかし、みんながなんとか止めようと反対しても、桜姫の出家への決意は固く揺らぎません。

 

というのも、桜姫は様々な困難を抱えているからです。

まず、生まれつき左手がぎゅっと握られたまま開かず、許嫁の悪五郎から破談されてしまったという将来の問題。さらに、吉田家の重宝「都の一巻」が行方知れずとなり、父と弟の梅若が相次いで命を落としたという吉田家存続の問題。そして、屋敷に入った強盗に犯されて、密かに子供を産んだという過去の問題。

それらが17歳の桜姫の心にずっしりとのしかかっている状況なのです。桜姫は、出家をしたいというのも頷けるハードな人生を歩んでいたのでした。

 

かたくなに出家を望む桜姫の願いを聞き入れようと、清玄は「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…」と十念を授けました。すると不思議なことに、生まれつき開かないはずの桜姫の左手が開き、小さな香箱の蓋が転げ落ちてきたのです。

蓋の裏側には「清玄」と記されており、まさしく白菊丸が左手に握りしめて入水していったあの香箱の蓋でした。

 

白菊丸の一念はこの土地に留まって輪廻転生したのだ、すなわち桜姫こそが白菊丸の生まれ変わりだ!と確信し、因縁の深さを感じた清玄

左手が開いたのだから出家はやめて、素敵な男性と結婚したらいいとその場の人々が桜姫に口々に勧めるなか、清玄桜姫の出家の願いを叶えることとするのでした。

次回に続きます。

 

参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖/櫻姫東文章/日本大百科全書

歌舞伎生世話物研究-『桜姫東文章』・『東海道四谷怪談』について― 渡辺荻乃

歌舞伎・清玄桜姫ものにみる「袖」のはたらき 松葉涼子

清玄桜姫物と『雷神不動北山桜』-『桜姫東文章』の場合- 山川陽子

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