数ある歌舞伎舞踊の中でもとりわけ有名な人気作「春興鏡獅子」
演目の舞台として設定されている江戸城の行事のことが気になって、少しばかり調べてみました。何らかのお役に立てればうれしく思います。
お鏡曳きとはなにか
そもそも春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)は、明治時代の作で明治26年(1893)3月に東京の歌舞伎座で初演された長唄舞踊です。作詞を歌舞伎座創立者でもある福地桜痴が手掛け、初演の弥生と獅子の精を明治の名優・九代目團十郎が勤めました。
舞台設定は、正月行事「お鏡曳き」の日の江戸城本丸御殿ということですが、そもそもお鏡曳きというのは一体なんなのでしょうか。
お正月の江戸城では、大名家から七草のご祝儀として鏡餅が贈られました。七日正月を祝うため、六日の晩に行われたのが「お鏡曳き」です。
鏡餅を板に乗せて、下男やお末の女中たちが紐で曳きながら御廊下を歩くというもので、みな無礼講で囃子や踊りを楽しみました。紅おしろいを施したお調子者の下男が現れるような、愉快な一大イベントであったようです。
鏡曳の先導をするのが獅子頭であり、弥生が手にする秘蔵の獅子頭もそこにつながります。
江戸末期から明治にかけて活躍した楊洲周延の作品に、大奥の年中行事を描き出した「千代田之大奥」というシリーズがあり、お鏡曳のようすも「鏡餅曳」と題して描かれています。
千代田の大奥 鏡餅曳 国立国会図書館デジタルコレクション
まさしく弥生のような御殿女中たちが、わいわいと曳かれてくる鏡餅を見て、楽しげに盛り上がっています。
驚くのは鏡餅の巨大さです。さながらテーマパークのパレードのようです。
大奥は記録を禁じられていたため、このシリーズは取材ではなく想像によるもので、信ぴょう性のほどは不明ですが、相当におもしろいイベントであったらしいことがうかがえます。弥生はこのような日に将軍の眼前で舞を披露することになったのですから、恐れ多い大役というのも納得です。
参考:新版歌舞伎事典/日本大百科事典/歌舞伎手帖/「鏡獅子」の成立 和田修/六代目菊五郎の舞踊と肉体 児玉竜一/引かれていく 村尚也