現在歌舞伎座で上演されている八月花形歌舞伎!
第二部で上演されている「真景累ヶ淵」は夏らしい怪談の演目です。七之助さんの豊志賀が鶴松さんの新吉を震え上がらせ、客席もゾッとするような涼しい一幕でした。
この演目の上演頻度は近年だいたい5年に1回程度それほど高くありませんので、この機に少しお話しておきたいと思います。もう日程は少なくなりましたが、配信の際など何らかのお役に立てばうれしく思います。
原作 ざっくりとしたあらすじ①
真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)は、幕末から明治時代の落語家 三遊亭円朝の怪談噺を原作とする演目です。明治31年(1898)二月、当時東京にあった劇場・真砂座で初演されました。
その後の大正11年(1922)五月、市村座において、「豊志賀の死」の場面を上演したものが評判を呼んで、現在まで続いています。二代目竹柴金作が脚色を行い、六代目梅幸が豊志賀、六代目菊五郎が新吉を勤めた舞台でした。
原作の落語「真景累ヶ淵」はとても長く、複雑な物語が展開していきます。青空文庫に残っている活字化されたものを参考にしながら、簡単にご紹介してまいります。
今日こんにちより怪談のお話を申上げまするが、怪談ばなしと申すは近来大きに廃たりまして、余り寄席で致す者もございません、と申すものは、幽霊と云うものは無い、全く神経病だと云うことになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。それ故に久しく廃って居りましたが、今日になって見ると、却かえって古めかしい方が、耳新しい様に思われます…
と、新奇な香りを漂わせながら怪談噺が始まります。
宗悦殺し
安永2年(1773)12月20日のこと。根津七軒町の鍼医・皆川宗悦が、旗本の深見新左衛門のもとへ貸金の取り立てに向かいます。
女房に死なれ、志賀と園という二人の娘を持つ宗悦は、貯めたお金で高利貸をするのを楽しみとしていました。この日はたいそう寒かったので娘たちは明日にしなさいなと宗悦を止めましたが、宗悦はこれを聞かずに新左衛門の元へ出向いて取り立てを行います。
宗悦の取り立てを受け、払えぬものは払えぬと激怒した新左衛門は、酒の勢いもあり宗悦を殺害。家来の三左衛門に死骸を捨てさせ、故郷の下総へやってしまいます。
それから一年が経ち、新左衛門の妻が病を患い、新左衛門はお熊という狡猾な女を妾に置いていました。そしてちょうど12月20日のこと、妻の治療に按摩を呼んだのですが、なんと按摩の姿が骨と皮のように瘦せこけた宗悦の姿に変貌!ギャーッと怯えた新左衛門は誤って妻を斬り殺してしまうのです。
その後、新左衛門はお隣のどさくさで殺され非業の最期。深見家は改易となり、長男新五郎と乳飲み子の次男新吉は別れ別れに成長。お熊は産んだ子供とともに深川へ、深見家の門番の勘蔵は新吉を連れて下谷大門町へ流れていきます。
松倉町の捕物
路頭に迷う長男深見新五郎は、谷中七面前の下総屋という質屋に拾われ奉公に。そこで働く女中のお園に惚れてしまいます。
実はこのお園こそ、父が殺した宗悦の娘の園。園にとって新五郎は仇筋です。しかしそうとは知らない新五郎は、気持ちを押さえられずにお園に迫り、押し倒してしまいます。
その時、お園さんの身体の下には運悪く、「押切」という鋭い刃物の器具がありました。男性の力で上から乗ったので体にざっくりと刃物が入り、お園さんはひとたまりもなく血だらけになって命を落としてしまうのでした。
図らずも人を殺めてしまい、一時仙台へと行方をくらました新五郎は、数年後ひっそりと江戸へ戻ります。捕り物の気配に怯えて隠れた家で、新五郎もまた押切の刃の上に落ちてしまい足を大怪我。もはや逃げ切れぬと捕縛され、引かれていくのでした。
参考文献:歌舞伎手帖/日本大百科全書/青空文庫 真景累ヶ淵 三遊亭圓朝 鈴木行三校訂