歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい東海道四谷怪談 その二 仮名手本忠臣蔵との関係

現在歌舞伎座で上演されている九月大歌舞伎

第三部で上演されている「東海道四谷怪談」は、仁左衛門さんの民谷伊右衛門と玉三郎さんのお岩の組み合わせでの上演が38年ぶりとのことで大変話題を呼んでいます!

貴重な機会を記念し、少しばかりお話していきたいと思います。芝居見物や配信の際など何らかのお役に立てればうれしく思います。

仮名手本忠臣蔵との関係

東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)は、1825年(文政8)の7月に江戸の中村座で初演された演目。大南北と呼ばれた江戸の名作者 四世鶴屋南北の代表的な作品として知られています。

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国立国会図書館デジタルコレクション

 

東海道四谷怪談の筋を一言でまとめますと、①塩冶家浪人の民谷伊右衛門は、②師直方の伊藤家の孫娘と縁談話が持ち上がった結果、③同じく塩冶家浪人の娘で現在の女房のお岩を虐待のうえ死に至らしめ、④亡霊となったお岩に恨まれるというもの。ポイントとなっているのが、江戸時代から人気を博す義太夫狂言「仮名手本忠臣蔵」に登場する「塩冶家」「師直方」の関係です。

赤穂浪士の討ち入り事件を題材としている「仮名手本忠臣蔵」では、当時の事情からいわゆる浅野内匠頭を「塩冶判官」、吉良上野介を「高師直」と名前を変えています。これにより、伊右衛門とお岩には貫くべき忠義があり、伊藤家は主筋でいえば敵方にあるということがわかるようになっています。

 

その一では四谷怪談の元ネタとなったものの数々を列挙してみましたが、どれもウワサや伝説などで「仮名手本忠臣蔵の世界」が些か浮いていたように思います。どういったわけで仮名手本忠臣蔵の世界が取り入れられているのかという点についてお話いたします。

 

江戸時代の芝居の世界では、十一月の顔見世興行を始まりとする年間契約で一座の役者の人事を行っていました。それに先立ち、八月ごろから相談が行われ、九月十二日には顔見世興行で上演される作品の題材を決める「世界定め」という会議が行われました。

そのため、秋に上演する狂言では、十一月にこの座を離れる役者のさよなら公演のような出し物 御名残狂言が上演されることになります。

 

「東海道四谷怪談」初演の七月は、来年に向けて着々と準備を進めるべきシーズンであり、ちょうど初演でお岩・小平・与茂七の三役を勤めた三代目菊五郎が大宰府参詣のため江戸を離れることが決まっていたのです。

その三代目菊五郎は忠臣蔵を得意としていたので、御名残狂言として「仮名手本忠臣蔵」を、そしてそれに続く出し物の二番目狂言として「東海道四谷怪談」を2日がかりで上演したのでした。

 

今では信じられないのですが、スケジュールはこのようなものだったようです。

初日:「仮名手本忠臣蔵」大序から六段目まで

   「東海道四谷怪談」序幕から三幕目隠亡堀の場まで

2日目:「東海道四谷怪談」隠亡堀の場

   「仮名手本忠臣蔵」七段目・九段目・十段目

    「東海道四谷怪談」四・五幕

   「仮名手本忠臣蔵」十一段目(討ち入り)

別個に上演していたのかと思いきやまさかの織り交ぜ式で、一体どんなテンションで見ればいいのか?という趣向ですが、江戸の人々には大ウケして、7月29日から9月15日まで上演が続く大当たりを取ったそうであります。

隠亡堀⇒七段目の流れには驚きを禁じ得ません。しかしコントラストが際立って案外面白そうでもあります。この通りに上演してみたら物語がどんな風に見えてくるのか、ちょっと見てみたいですね。

 

参考文献:歌舞伎手帖/日本大百科全書/新版歌舞伎事典/東海道四谷怪談と南北 寺崎初雄

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