現在歌舞伎座で上演されている九月大歌舞伎!
第三部で上演されている「東海道四谷怪談」は、仁左衛門さんの民谷伊右衛門と玉三郎さんのお岩の組み合わせでの上演が38年ぶりとのことで大変話題を呼んでいます!
貴重な機会を記念し、少しばかりお話していきたいと思います。芝居見物や配信の際など何らかのお役に立てればうれしく思います。
ざっくりとしたあらすじ① お話の前提
東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)は、1825年(文政8)の7月に江戸の中村座で初演された演目。大南北と呼ばれた江戸の名作者 四世鶴屋南北の代表的な作品として知られています。
国立国会図書館デジタルコレクション
東海道四谷怪談の筋を一言でまとめますと、
①塩冶家浪人の民谷伊右衛門は
②師直方の伊藤家の孫娘と縁談話が持ち上がった結果
③同じく塩冶家浪人の娘で現在の女房のお岩を死に至らしめ
④亡霊となったお岩に恨まれる
というものです。実際はお岩さんの妹お袖とその夫直助の物語などが絡んで複雑ですので、ごく簡単にあらすじをお話していきたいと思います。現行の上演とは違う部分があったり、実際の舞台とは内容が前後したりする場合がありますので、その点は何卒ご容赦願います。
まずは、物語の前提からお話いたします。物語は赤穂浪士討ち入り事件を基にした「仮名手本忠臣蔵」の世界の中で展開していきます。
塩冶判官(いわゆる浅野内匠頭)は高師直(いわゆる吉良上野介)からのハラスメントを腹に据えかね、松の廊下でタブーである刃傷沙汰を起こしてしまいます。そのため塩冶判官は切腹、塩冶家は取り潰しとなってしまいました。
浪人となった家臣たちは貧しい暮らしを強いられることとなりましたが、主君塩冶判官のために忠義を尽くそうとする家臣たちが密かに集結。徒党を組んで高師直の屋敷への討ち入り計画を粛々と進めていたのでした。
この物語の登場人物である四谷左門、民谷伊右衛門、佐藤与茂七もみな塩冶家の浪人であり、貧しい暮らしを送っていました。四谷左門にはお岩とお袖という二人の娘がいて、姉のお岩は民谷伊右衛門が入婿となって結婚、妹のお袖は佐藤与茂七に嫁いでいました。
しかしながら、忠義の佐藤与茂七は、討ち入り計画に参加したまま行方知れずに。一方で民谷伊右衛門は与茂七と対照的に、塩冶家の御用金を盗むというとんでもない悪事を働いていました。
娘の夫たちで苦労する四谷左門は、ひとまずお岩を実家に連れ帰ってしまいます。お岩は当時すでに伊右衛門の子を妊娠していましたが、そもそも四谷左門はこの結婚に納得しておらず、忠義第一のさむらいの価値観では御用金を盗んだ民谷伊右衛門を到底許すことなどできないのです。
前提をお話したところで次回に続きます。
参考文献:歌舞伎手帖/日本大百科全書/新版歌舞伎事典/東海道四谷怪談と南北 寺崎初雄/東海道四谷怪談 鶴屋南北 河竹繁俊校訂