ただいま歌舞伎座で上演中の吉例顔見世大歌舞伎
第二部「寿曽我対面」は、十世 坂東三津五郎七回忌追善狂言としての上演で、御子息の巳之助さんがゆかりの曽我五郎をお勤めです。菊五郎さんの工藤祐経、時蔵さんの十郎、雀右衛門さんの大磯の虎といった豪華な配役の素晴らしい一幕であります。
この機会に少しばかり演目について掘り下げてみたいと思います。芝居見物や配信の際など何らかのお役に立てればうれしく思います。
江戸でお馴染みの曽我物語
壽曽我対面(ことぶきそがのたいめん)は、江戸時代に人気を博した「曽我物語(そがものがたり)」を題材とした演目。曽我兄弟が工藤祐経に会う、つまり対面するというだけの場面で、単に「対面(たいめん)」とも呼ばれます。歌舞伎で対面と言えば、この演目のことを指します。
そもそも「曽我物語」というのは、曽我十郎・五郎という兄弟が、亡き父・河津祐通の仇である工藤祐経を富士の裾野で見事討ち果たすという敵討ちの物語です。鎌倉時代初期に起こった実話を基にしていると伝わります。
現代人にはあまり馴染みのない物語かと思いますが、江戸時代の人々の間では非常に人気の馴染み深いものであったようで、能や幸若舞にはじまり、庶民の間にも浄瑠璃や浮世絵などを通じさまざまな形で浸透していたようです。
近年の日本に暮らす人々の多くが「妹を鬼にされた炭治郎という少年が、妹を人間に戻すため、修業を積んで鬼と戦う」というおおまかな筋立てを見聞きしたことがあって、暮らしのそこかしこでイラストを目にしたり、主題歌を耳にしたりしているのと同じような具合かもしれないですね。
江戸時代の市井の人々のあいだには、曽我兄弟に対する信仰心まで宿っていたといいます。現代でもキャラクターを神がかり的に愛する方は大勢おいでのことと想像します。いつの世の人にも、心を寄せる物語は必要なのだろうと思います。
曽我物語は『曽我十番斬』(1655)を筆頭に歌舞伎化されはじめ、元禄年間に作られた演目が大当たりとなり、曽我狂言という一ジャンルを築くようになりました。
さらに当時人々の信仰的熱狂を集めていた市川團十郎が曽我五郎を超人的な荒事の演出で演じたことから、人々にとってのありがたさ、崇め奉りたさを刺激するようになります。
その結果、曽我狂言は「今年も一年を安寧でありますように」という儀式的な意味合いを含むようになり、1700年代の享保年間から幕末・明治初期に至るまで、江戸の芝居小屋ではお正月の初春興行で曽我物を必ず上演するのがならいとなったのでした。
次回からは「寿曽我対面」の内容についてお話していきたいと思います。
参考文献:新版歌舞伎事典/日本大百科事典/歌舞伎手帖 渡辺保