歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい天一坊大岡政談 その三 名奉行 大岡越前守と「大岡政談物」

ただいま歌舞伎座で上演中の四月大歌舞伎

第一部で上演されている「天一坊大岡政談」は、幕末から明治期に活躍した名作者・河竹黙阿弥の作品です。今月は大岡越前守を松緑さん、天一坊を猿之助さん、山内伊賀亮を愛之助さんがお勤めになっています。

比較的上演頻度の低い演目であるため、貴重な今月の上演にちなみ、少しばかりお話してみたいと思います。芝居見物やテレビ放送、配信などの際、何らかのお役に立つことができればうれしく思います。

名奉行 大岡越前と「大岡政談物」

天一坊大岡政談(てんいちぼうおおおかせいだん)は、幕末から明治期に活躍した名作者・河竹黙阿弥の作です。安政元年(1854)8月に江戸の河原崎座で上演された「吾嬬下五十三驛」を先行作とし、維新後の明治8年(1875)1月東京の新富座にて上演された「扇音々大岡政談」が評判となって今に至ります。

 

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講談一席読切 天一坊実は観音流弟子法策 市川左団次 国立国会図書館

 

江戸時代、将軍吉宗の隠し子を名乗るというとんでもない手法で世間を激震させた一大信用詐欺事件「天一坊事件」を題材とした、初代神田伯山の講談「大岡政談 天一坊」が元ネタ。天下の大悪党天一坊と大岡越前守の矜持が眼目です。

実際の天一坊事件の犯人を裁いたのは伊奈半左衛門であって大岡越前守ではないらしいのですが、大岡越前の方がよりキャッチーでドラマチックであるので結び付けられてしまったようです。そういうわけでこの物語はフィクションです。

 

大岡越前守といえば、時代劇でもお馴染みの南町奉行大岡忠相(おおおかただすけ)。現在はNHKBSで東山紀之さんがお勤めですね。加藤剛さんのシリーズはエピソードが大量にあり、とても追いきれないほどの一大作品群になっています。紗綾形の襖の前での「大岡裁き」はカッコよく、また人情味にあふれ温かく、胸に沁み入るシーンです。

大岡忠相の活躍は幕末から明治の時代においても人々の間で大変有名で、歌舞伎だけでなく、講談や落語、浪花節などなどありとあらゆるジャンルで膨大な作品が作られました。

 

大岡忠相が実際に町奉行を勤めていたのは享保年間(1716-36)のこと。大変勤勉かつ誠実な人物で、物価の安定や町火消の結成など、とりわけ町の庶民が助かるような施策を数多く導入しました。そして本人の晩年から死後の宝暦年間(1751~64)ごろ、講釈師たちが大岡忠相の活躍を脚色した世話講談を作って広め、人々の間で名奉行の大岡越前として広く知られることとなります。

身分制度と締め付けのなかで暮らしていた町の人々にとって、「お上のなかにも自分たちの苦しさをわかってくれる人がいるらしいぞ」という期待を抱くことは、大きな救い、憂さ晴らしであったのだろうと思います。そういった背景も下地になってか、本当に大岡忠相の裁判かどうかということは二の次になり、関係のない話題も盛り込まれ、たくさんの大岡忠相の物語が生まれることになります。

 

やがて幕末から明治にかけての読本「大岡仁政録」などの読物をはじめ、大岡忠相の名捌きを描いた講談、落語が数多く作られ、一ジャンル「大岡政談物(おおおかせいだんもの)」を形成するまでに発展。

現在我々が見ることのできる歌舞伎「天一坊大岡政談」や、時代劇「大岡越前」へとつながっていくわけです。メディアは変われど昔の人々と同じような娯楽を摂取し、喜んだり感動したりしているわけで、おもしろい文化ですね。

 

参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖/日本大百科事典/立命館大学/実録体小説の生成  小二田誠二 

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