ただいま国立劇場で上演中の令和4年10月歌舞伎公演『通し狂言 義経千本桜』
名作「義経千本桜」の主役 新中納言知盛・いがみの権太・狐忠信の３役を、菊之助さんがお一人でお勤めになるという記念すべき公演です。2020年3月に小劇場での上演が予定されながらもすべて中止となりましたが、大劇場でようやく上演されています。
これまで「義経千本桜」についてはたくさんお話してまいりましたが、鳥居前の場面はまだお話していなかったことに気が付きました。せっかくの機会ですので、少しばかりお話したいと思います。何らかのお役に立つことができれば幸いです。
ざっくりとしたあらすじ③
義経千本桜（よしつねせんぼんざくら）は、「義経記」や「平家物語」などの古典作品と、その影響で生まれた謡曲などを題材とした演目です。
延享4年（1747）11月、大坂は竹本座にて人形浄瑠璃として初演されました。当時の人形浄瑠璃において大ヒットを連発していた竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作によるものです。その評判は人形浄瑠璃浄瑠璃から歌舞伎、大坂から江戸へと急速に広がり、今に至るまで屈指の人気作として上演が重ねられています。
鳥居前の場面は、物語が全五段あるうち二段目の初めにあたる部分です。
簡単な内容としては、
①平家滅亡後、鎌倉とのゴタゴタがあり、義経一行は都を離れることに
②義経の愛妾・静御前が追いついて、自分も連れて行ってくれと追いすがる
③義経は静御前に自分の形見として後白河法皇からの褒美「初音の鼓」を与え、西国へと落ち延びていく
④義経の家来の佐藤忠信が静御前の守護をすることになったが、何やらようすがおかしい…
というもの。ほかの場面に比べると劇的な展開があるわけではありませんが、くまどりや独特の動きなど、歌舞伎ならではの様式美を堪能できる名場面です。
それではあらすじを細かくお話していきたいと思います。内容が前後したり、細かい箇所が実際の舞台とは変わることもありますがその点はご容赦くださいませ。
②では、「鳥居前」本編の前半部分のお話をいたしました。都を出て西国へと出発する義経一行のもとへ、義経の愛妾・静御前が駆け付けるところです。
自分もお供をしたいと願い出る静御前でしたが、義経からきっぱりと断られてしまいました。これからの旅路は命を狙われる大変危険で厳しいものであるので、連れていくことは出来ないのです。そこで義経は自らの形見として、後白河法皇から賜った「初音の鼓」を静御前に授けます。
それでも一緒に行きたい、行けないのなら死ぬ死ぬと騒ぐ静御前でしたが、義経はじめ家臣たちは取りつく島もなく、よよよ…と悲しみに暮れるのでした。
そうこうしている今にも、鎌倉方の討手がやってくるかもしれません。舞台はゆったりしていますが、かなり緊迫した状況です。義経の家臣たちは追いすがる静御前を鼓の緒（紐のようなもの）を使って木に縛り付け、義経ともども立ち去っていってしまうのでした。
そんなことをしたら余計に鎌倉方への目印になって、大切な静御前が命の危険に晒されてしまうのではないかと思われますが、舞台はその心配の通りになり、まんまと鎌倉方の討手がやってきます。
しかし鎌倉方討手の逸見藤太（笹目忠太の場合も）はこの上なくとぼけた人物で、家臣たちも見るからにぽんこつなようすです。逸見藤太のような役柄は敵方なのですが危険な悪者ではなく、お化粧も衣装も明るく愉快に仕上がっています。浄瑠璃や歌舞伎ではこういった三枚目のおもしろい役どころが笑いを添えてくれます。
木に縛られた静御前と初音の鼓を発見した逸見藤太は、近くに義経がいるに違いないと判断。静御前と初音の鼓を奪い取って、義経を追いかけようとします。
とそこへ、どこからともなく「待て」との一声。見るからに強そうな義経の家臣の佐藤四郎兵衛忠信が颯爽と現れ、逸見藤太とその家臣たちををこてんぱんにやっつけてしまいます。そして静御前と初音の鼓を取り返すというヒーローさながらの活躍を見せました。
この場面の佐藤四郎兵衛忠信のような、見るからに強そうな正義のヒーローは「荒事」という演出で登場します。赤いくまどりをして、常識では考えられないほど派手な衣装を着け、手足を大きく動かしてみなぎる力を表現するのが特徴です。歌舞伎と聞いて多くの方がイメージする典型的なスタイルです。
俄のヒーロー出現で静御前と初音の鼓の無事が守られたところへ、義経一行が戻ってきます。佐藤四郎兵衛忠信の活躍ぶりを見ていたのです。
そもそも佐藤四郎兵衛忠信は、お母さんの病気で実家に帰っていたはずでしたが、義経の身に一大事が起きていることを知って、急ぎ駆け付けてくれたのです。そのうえでこの勇ましき活躍ぶり。
なんと素晴らしき忠臣か…と感じ入った義経は、自らの姓名「源九郎」と、愛用している着背長（鎧）を与え、佐藤四郎兵衛忠信を讃えます。そして静御前を守るよう固く命じると、西国へ向けて旅立っていったのでした。
義経一行を見送り、静御前と佐藤四郎兵衛忠信は都へと戻ることになります。
大切な義経の形見である初音の鼓を鳴らしながら、都へと向かって花道を引っ込んでいく静御前。そのあとに続く佐藤四郎兵衛忠信は、鼓の音が聞こえてくるたび、なにやら妙なようすを見せるのでした。佐藤四郎兵衛忠信はいったい何者なのか…というところで、「鳥居前」の場面は幕となります。
ネタバレをしてしまいますと、この佐藤四郎兵衛忠信の正体は狐です。初音の鼓の材料となった夫婦の狐の子供であり、親を慕って佐藤四郎兵衛忠信に姿を変え、鼓のそばを離れまいとしているのです。
この鳥居前では、「実は狐」であることをあらわすために、動物のような動きを見せながら花道を引っ込んでいきます。動物のような動きは主に手つきで、手先を丸め、手指ではなく肉球がついた生き物のように見せます。かわいいです。花道の引っ込みは「狐六方」などと呼ばれていて、大きな見どころです。
参考文献：新版歌舞伎事典／かぶき手帖／床本集
