歌舞伎座にて10月31日(月)11月1日(火)の2日間にわたって開催された、
十三代目 市川團十郎白猿襲名披露記念 歌舞伎座特別公演
江戸歌舞伎随一の大名跡の襲名を祝う特別な宴です。2公演のみの大変貴重な機会とあって、発売時には数分で売り切れてしまったプラチナチケットの公演であります。
このすえひろもチケット争奪の激戦に臨みまして、幸運にも拝見することが叶いました。後年の記録と思い出のため、ここに内容と感想をしたためておきたいと思います。
ご覧になることができなかった方が大勢おいでと存じており、私などがおこがましいこととは思いますが、少しでも当日の空気をお伝えすることができれば幸いです。
祝祭の歌舞伎座
当日は歌舞伎座玄関も、いつにないおめかしが施されていました。
「海老蔵改め十三代目市川團十郎白猿襲名披露」のちょうちんと三升の幕がかかり、座紋入りの櫓も建ててあります。加えて窓には三升と鳳凰丸の紋が描かれています。
左手には農口尚彦研究所の菰樽とともに、襲名記念の写真パネルが建てられていました。
玄関前は華々しい歌舞伎座の姿を見上げる方々、写真撮影を行う晴れ着の方々でにぎわい、まさしく祝祭の風景です。
ロビーへ足を踏み入れますと、役者さんの奥様方がずらりと並び、方々へ忙しくご挨拶をなさっていました。世代もさまざまな来賓の方々、彩り鮮やかなお召し物に良い香り。本日は格別に晴れやかな祝いの場であるということを五感で感じ、通い慣れたる歌舞伎座のハレの空気に私も興奮しきりでした。文字通りの非日常、さながら夢の中にいるようでありました。
上演内容と時間配分は下記のとおりです。厚みのある良い紙で仕立てられた立派なプログラムもいただいたのですが、無断掲載禁止とあったため念のため載せずにおきます。何卒ご容赦くださいませ。
神歌(12分)
二十六世観世宗家 観世清和氏、観世銕之丞氏はじめとする能楽界の豪華出演者による素謡
幕間 20分
顔寄せ手打式(13分)
座元・歌舞伎俳優陣による手締めの式
幕間 35分
襲名記念特別映像(15分)
團十郎代々のおもかげと襲名までの歩みを振り返る映像
幕間 10分
勧進帳(1時間13分)
新團十郎弁慶に、玉三郎さんの義経、仁左衛門さんの富樫という最強布陣の勧進帳
それでは、それぞれの内容と感想をお話してまいります。
神歌
『神歌』は、天下泰平や五穀豊穣を祈る神事とされている能楽『翁』の素謡です。松羽目の前に二十六世観世宗家 観世清和氏、観世銕之丞氏はじめとする能楽界の豪華出演者がずらりと並び、大変厳かに披露されました。
恥ずかしながら能については不勉強なのですが、言語が空間に広がりうわんうわんと増幅していくような謡の声は神職の方々の警蹕のようにも聞こえてきて、とても神秘的です。日頃にぎにぎしく歌舞伎が上演されている空間が一瞬にして清められたような、神聖なものを感じました。
歌舞伎の松羽目はあくまで能舞台を模したものであり、歴史的に見ても歌舞伎とは対照的な能楽の世界。日ごろ歌舞伎座の舞台にいるはずのない方々までもが、こうして團十郎襲名を祝うために来られたのだと思うと、なんだか客席の自分も身が引き締まるような思いです。歌舞伎の地位向上のため奮闘した九代目團十郎に伝えたい、感慨深い一幕でした。
顔寄せ手打式
顔寄せ手打ち式とは、座元・歌舞伎俳優陣による古式ゆかりの手締めの式。歌舞伎が芝居小屋単位の契約形態で上演されていた時代のおもかげが感じられる、吉例行事であります。近年は歌舞伎座閉場や開場などでも催されていましたが、一般客が目にするチャンスは非常に少ない貴重な機会です。このすえひろも初めて拝見するものでした。
幕が開くと舞台の上には、黒紋付きの正装姿の歌舞伎役者の方々がずらりとひしめいています。それはそれはたくさん、一目ではとらえきれないほどの数です。オペラグラスでお一人お一人をしっかり見たいような、せっかくなので肉眼で広くとらえておきたいような、葛藤の時間でした。
中央に松竹及び歌舞伎座関係者と思しき方々が4名、中央後方に葵太夫はじめ演奏者の方々が4名、そして舞台手前の下手側に、左手から後見役の白鸚さん、主役の團十郎さん、新之助さんと並んでいます。そのほか大きく3列、びっしりと歌舞伎役者の方々が並んでいました。
主に上手1列目に菊五郎さん梅玉さん、下手1列目に仁左衛門さん玉三郎さん(最高)という配列です。座っていた位置の関係で、どなたがどう並んでおられるのか見えない部分もありました。上手側で松緑さん菊之助さんがピシッと並んでいたこと、下手側で勘九郎さんがすがすがしい微笑みを浮かべてらしたのが印象的でした。お誕生日おめでとうございます、と思いながら。
松竹歌舞伎座関係者と思しき方の挨拶の後、後見の白鸚さんによる口上、團十郎さん、新之助さんと続きます。團十郎さんと新之助さんの晴れ舞台、私などよりももっとこの場を目撃すべき十二代や麻央さんのことが思われ、目頭が熱くなりました。
また31日から大向こうの方が入っていたので、第一声の「高麗屋!」の声が本当にうれしかったです…!高揚感でグワーッと体が熱くなり、懐かしさのあまり涙がこぼれたほどです。何をどうして泣いているのか自分でもわからないまま泣いているという、不思議な時間でした。
新團十郎さんの挨拶にぐっと引き締まる場の空気、新新之助さんの立派な挨拶にホッコリと微笑む菊五郎さんや仁左衛門さんはじめ先輩方。厳しくもあたたかな空気を感じました。團十郎さんの「歌舞伎のため、歌舞伎のことに生きる覚悟(意訳)」という言葉を忘れません。その歩みをしかと見届けたい所存です。
そして、菊五郎さんが手打ちの音頭を取られ、舞台上と我々客席ともどもに一本締めで終了となりました。これほど多くの歌舞伎役者の方々を、一度に拝見したことはありません。形容しがたい一体感に満ち、壮観そのものでした。
皆様それぞれに名跡や、家の看板を背負っておられるのだな。目の前におられる方々と先代、先々代、数えきれないほど多くの方々が、幼少のころから人生を終えるまで、多くの時間をこの地で過ごされているのだな、と。文字通り命を削り、それぞれ芸の道を邁進されてきた人生を思いますと、敬服の念でいっぱいになりました。
襲名記念特別映像
特別映像は、初代の團十郎から当代までの團十郎の代々と、襲名披露狂言の歌舞伎十八番の数々を浮世絵や写真で辿るものです。加えて團十郎さんと新之助さんのこれまでの歩みや、海老蔵として最後の舞台やお練りなどなど、襲名までの様々な行事を紹介していました。浮世絵好きには興奮必至の映像でした。とても興奮しました。
特に、十一代目・十二代目・十三代目の助六を写真と映像でつないでいくパートを見て、とても不思議な気持ちになりました。
写真や映像の画質はどんどん向上し、観客のファッション、劇場の空間もどんどん変わっていくのに、代々の團十郎だけが、いつの世も全く同じことをしている。それぞれ寸分たがわず、助六である…
舞台の外が目まぐるしく移ろっていっても、團十郎を背負った方はただひたすらに團十郎でありつづけているのですよね。これがいかに特殊で、難しい事かを、直感的に理解しました。ひとつの命の上に、この巨大な宿命を背負う重みは計り知れません。どうかこの先折れることなく、光を最大限輝かせほしいと祈るような思いです。
勧進帳
いよいよ、当代最強の配役による勧進帳です。とにもかくにも、素晴らしい勧進帳でした。自分もいままさに荒涼たる安宅関にいるかのようで。どうか義経さまの命を守り抜くことができますようにと願いながら、息を潜め固唾を呑んで見守ってしまう、そんな時間でした。
今回の勧進帳は演奏家の方々の層も分厚く、鼓の音がびりびりと体に響くほどです。特に囃子連中の方々は、烏帽子や素襖などの特別の衣裳を身に着け、重厚な雰囲気を醸していました。わかりませんが、もしかしたら團十郎襲名の吉例なのでしょうか。私自身は初めて拝見した出で立ちです。
仁左衛門さんの富樫。絵のようにキリリと決まる美しさ、甲の声が胸にスーッと響きます。幸四郎襲名の大阪松竹座で見納めと思っておりましたので、再び拝見することが叶った喜びに震えました。
鉄壁の厳しさのなか、指先までもが心情を語るような「判官殿にもなき人」を、深い情感のこもった「今は疑い晴れ候」に、勧進帳というドラマのすべてを感じたように思います。
玉三郎さんの義経はあまりにも高貴で、登場した瞬間から良い香りがしました(物理的にも)。金剛杖でさんざんに打擲など絶対にしてはならない、そんな義経でした。
「判官御手」の瞬間には、弁慶だけでなく歌舞伎座じゅうを包み込むような大きな慈愛を感じ、自然と涙がこぼれました。もったいなや、もったいなやと私も思うほどです。
花道の引っ込みで、舞台の方を一瞬振り返る仕草があり、よりドラマが際立っていました。
そして團十郎さんの弁慶。とにかく大きくダイナミックであり、あああ~!!ずっとこんな團十郎さんが見たかったのですよと…!!うなるような弁慶でした。
仁左衛門さんの富樫と玉三郎さんの義経の作り出すドラマの上で、安宅の関を超えようと必死にもがく弁慶は本当に弁慶その人に見えてきて、自然と応援している自分がいました。
本当に見ることができてよかった今後も楽しみだと心から思える舞台で、今思い出してとじんわりと胸が熱くなります。歌舞伎の勧進帳、特に世代を超えた配役においては、先輩方の胸を借りて「壁を超える」という意味合いも強いのだろうと思います。これまでも素晴らしい勧進帳、思い出深い勧進帳がたくさん頭に浮かびますが、今回の勧進帳は特別な舞台としていつまでも思い出したい大切な勧進帳になりました。
大地を踏み鳴らすような底抜けの飛び六方を見届けて歌舞伎座を出ますと、夜空に赤々とちょうちんが灯っていて、とても風情がありました。この夜の感動がいつまでも続くよう祈りながら歌舞伎座を後にしました。
記念品は牡丹の花瓶(紅白)
今回の特別公演は記念品付きです。開演前の玄関にて、1階桟敷席と1等席の観客に記念品が配られました。白地に金の三升の紋の入った紙袋に入っていました。
手拭いや扇子などではないかなあと想像しておりましたが、いただいたのはこのような小さな箱です。成田屋の熨斗付きで、立派な水引がついております。
中身を開けてみますと、なんと色鍋島今右衛門窯の花瓶でした!
手書きの絵付けで牡丹が描かれ、立派な桐箱までついた結構な品物です。このような品物を配布されるとは…特別公演の格式の高さを改めて感じました。
31日は赤、1日は白をいただきました。最初からランダムだったのか、日を分けて用意されていたのか定かではないのですが、おそらく後者なのではないかと思います。二日間ちがった色を用意して、観客に特別感をもたらしてくださる心配りに、大変感激した次第です。
以前、親しいお友達からお譲りいただいた、仁左衛門さんのお盆に載せてみました。こちらも確か、襲名披露を記念して発売された品と伺ったように思います。江戸の名跡と上方の名跡のコレボレーションですね。
飛躍を願って
今回の特別公演を体験し、これまで自分が拝見したどの襲名披露とも違う、市川團十郎の名跡の規格外の大きさを改めて実感いたしました。
ひとつの命の上にそれほどの名跡を襲うということが、いかに重く、苦しいことか。團十郎さんの力ほとばしる弁慶の姿を拝見していて、失われたもの、もう見られないものを嘆き続けるのは一旦ひと休みして、今はとにかく新しい時代の到来を、心から喜びたいと思った次第です。
このご時世、勸玄さんが團十郎になるころまで自分が生きていられるかどうかわかりませんので、生きているうちにこの一大イベントを味わうことができたというのは本当に幸運で、万感の思いです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。当日の空気を少しでもお伝えできたでしょうか。十三代團十郎白猿さんの今後のご活躍を心より願い、このお話の結びとさせていただきます。