歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい歌舞伎十八番の内 勧進帳 その二 あらすじ① 富樫の名乗り・義経一行 花道の出

ただいま歌舞伎座では

市川海老蔵改め 十三代目 市川團十郎白猿襲名披露
八代目 市川新之助初舞台 十一月吉例顔見世大歌舞伎が上演中です。

市川團十郎といえば江戸歌舞伎を象徴する大名跡。9年間にわたる空位を経て、ここに新しい團十郎さんが誕生しました。その記念すべき襲名披露の狂言として選ばれているのが「歌舞伎十八番の内 勧進帳」です。

勧進帳は数ある歌舞伎演目の中でも大変特別な存在でありますので、またとないこの機会を記念して、改めてお話したいと思います。團十郎襲名に際しいろいろとお話すべきことはあるのですが、ひとまず舞台の内容についてお話いたします。芝居見物や配信、テレビ放送の際など、なんらかのお役に立てれば幸いです。

あらすじ① 富樫の名乗り・義経一行 花道の出

歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)は、1840(天保11)年3月に江戸の河原崎座にて七代目市川團十郎によって初演された演目。都を追われた義経の逃避行を描く能の「安宅」を題材としています。

なんとしても主君義経を守らねばならない弁慶が、極限状態のなかで発揮する知略と胆力、そしてすべてを飲み込んで義経一行を通す関守の富樫のドラマが見ものです。能舞台を模した松羽目と呼ばれるシンプルな大道具を使い、長唄と呼ばれる華やかな音楽とともに、大変スリリングな物語が展開していきます。

 

国立国会図書館デジタルコレクション

 

基本的な事項を本当にざっくりとお話しますとこのようなものです。

①兄頼朝に疎まれ都を追われた源義経は強力(荷物持ち)に姿を変え、山伏一行に変装した武蔵坊弁慶たちとともに奥州へ向け逃避行している。

②一行は関守の富樫左衛門が守る安宅の関に到着。ここには既に「義経たちが山伏に変装して逃げている」という情報がもたらされており、山伏は殺害するという方針がとられていたが、弁慶たちを尊き山伏と判断した富樫は、一行を通そうとする。

③富樫の番卒の一人が、強力が義経に似ていると富樫に進言する。追い詰められた弁慶は、強力が義経ではないことを証明するため、主君にもかかわらず下男のように散々に杖で打ってみせる。

④すべての事情を覚った富樫は、弁慶の姿に胸を打たれ、自分が罰されることを覚悟の上で一行を通す。弁慶は富樫の計らいと天の守護に深く感謝し、旅を続ける。

 

全編にわたって見どころばかりの演目で、舞台を見ているだけでも陶酔感があるのですが、初めてご覧になる場合にはわかりにくい部分もあるかと思います。前提情報などを含めて、長唄の詞章などを交えながら詳細にお話してまいります。

ひとまずは演目の流れをブロックごとにご紹介いたしました。ここから各ブロックごとにお話してまいります。

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①富樫の名乗り・義経一行 花道の出

舞台の上は松の絵が描かれた一枚板。能舞台を模した松羽目と呼ばれるスタイルです。

それらしい大道具は置かれませんが、ここは加賀国の安宅に設置された新しい関所であり、絶対的な権力者である鎌倉殿・源頼朝の厳命によって、厳しい警固が行われている殺伐とした状況です。

そこへ下手の揚幕から、スッキリと爽やかな青い衣装で関守の富樫左衛門が登場します。富樫による名乗りが端的に状況を説明していますので、ここにご紹介します。

 

斯様に申す者は加賀の国の住人富樫の左衛門にて候。

さても、頼朝義経御仲不和となり給うにより、

判官殿主従、作り山伏(にせの山伏)となって陸奥へ下向のよし、

鎌倉殿聞し召し及ばれ、国々に新関を立てて、

山伏をかたく詮議申せとの厳命によって、某、この関を相守る。

 

判官殿というのは源義経のことです。義経は源平合戦において平家を滅亡に導く功を遂げましたが、讒言などによって兄の頼朝から謀反を疑われ疎まれてしまい、京都の都を出て現在は東北地方の平泉を目指し逃亡している状況です。

頼朝は義経を捕縛するため、全国各地に新関を立てました。ここ石川県の安宅の関もそのためのもので、富樫左衛門は関守に任命されたのでした。

 

さらに鎌倉方には、「義経一行は山伏に変装している」という情報ももたらされています。当時の修験者たちは、険しい山中を修行のルートとしていたため、身を隠しながら京都から平泉へ向かうには、山伏に変装するのが最適解であるからです。

富樫番卒たちも、修験者が来たら即座に縄をかけて処刑するという思いを一つにしている、そんな状況です。

 

富樫番卒たちが位置につくと長唄の演奏が始まり、「寄せの合方」という有名な三味線の演奏が続きます。

この出だしがとても素敵でたまりませんので、ここはぜひ詞章を聞き取っていただきたいと思います。文字で一度お読みになっておくと、ぐっと内容が入りやすくなりますのでお試しください。

 

〽旅の衣は篠懸(すずかけ)の 旅の心は篠懸の 露けき袖やしおるらん

〽時しも頃は如月の 如月の十日の夜 月の都を立ち出でて

 

旅路の露と涙を拭う袖や、吹きすさぶ風の冷たさまでもが感じられる音楽を伴って、花道より源義経が登場します。

背中には、山伏の持ち物を入れた笈(おい)を背負っています。これは強力(荷物持ち)の出で立ちです。紫の衣裳で神々しく輝いているように見えますが、これは我々が義経を尊き御方と感じるための助けのひとつであって、物語の上ではあくまでも荷物持ちです。

 

〽これやこの、行くも帰るも別れては、知るも知らぬも逢坂の山隠す

 霞ぞ春はゆかしける

「逢坂の山隠す」で遠くの山を振り返るような形に決まるのが見どころの一つで、義経をお勤めになる方の麗しさに惚れ惚れとするシーンです。源義経はとにかく「悲劇の貴公子」というイメージが貫かれています。

 

それに続いて、山伏の出で立ちをした常陸坊海尊、伊勢三郎、亀井六郎、駿河次郎がしずしずと登場し、ひとりひとり花道へ並びます。この四人はまとめて「四天王」と呼ばれますので今後はそのように表記します。

そして一番最後に、黒い山伏の衣裳を着た武蔵坊弁慶が現れ、義経主従の全員が花道に揃いました。猛烈な拍手が湧き上がるシーンです。

 

ここで、義経が口を開きます。

いかに弁慶、道々も申すごとく、かく行く先々に関所あっては、所詮陸奥までは思いもよらず。

名もなき者の手に掛からんよりはと、覚悟は疾くに極めたり。

この調子で関所が設置されているなら、とてもこのまま陸奥まで逃げ切れるとは思えない。名もなき者の手にかかるよりは潔く自害した方が良いと感じている。しかし、皆の忠心も無駄にできず、こうして荷物持ちに姿を変えているのだが、皆なにか良い考えはあるだろうか…と、義経は嘆いています。

 

四天王の若者たちは武力に訴え、番卒を斬り殺してでも通り抜けましょう!と勇みますが、弁慶が「ヤアレ暫く」とこれをとどめます。

弁慶は、もしここで暴力行為を起こせば、結局は後々の関で問題になり、陸奥へ行くのはますます大変になってしまいます。ここはとにかく、私に任せてください。笠を深くかぶり、くたびれた強力のような雰囲気でいてください…と頼み、一行は弁慶の先導で安宅の関へと向かいます。

 

②に続きます。

 

参考文献:勧進帳考 伊坂梅雪/歌舞伎オンステージ 10/勧進帳 渡辺保/歌舞伎狂言往来/新版歌舞伎事典

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