新橋演舞場で上演されている團十郎襲名記念特別プログラム「SANEMORI」の上演に際して『源平布引滝』の内容を振り返るなかで、改めて物語の持つ魅力を感じました。
『源平布引滝』は比較的上演頻度の高い演目です。何度も拝見したつもりの演目でも、演者の方の影響や自分の成長に伴って視点が変わると、そのたびに新たな発見があります。そんなときつくづく歌舞伎はおもしろいなあと感じます。私は不勉強でして一度見ただけで全て理解できるわけではなく、とにかく時間がかかっていますが、そのぶん楽しみが長年続いているのではないかと踏んでいます。
そんな『源平布引滝』について、思いつくままつらつらと補足情報を述べてみたいと思います。何らかのお役に立つことができれば幸いです。
『平家物語』の斎藤実盛
斎藤別当実盛 (源平英雄競) 一寿斎芳員
国立国会図書館デジタルコレクション
『源平布引滝』の斎藤実盛は、平家物語に描かれている「木曾義仲の家臣・手塚太郎に討たれる」という死のエピソードを予感させるというおもしろい役どころです。
観客は目の前の芝居の中で展開する物語を見ながら、平家物語という別の物語の行く末を見るという二重構造になっているところが斬新です。江戸時代の人々の歴史観は現在のように事実重視ではなかったはずですから、実際どのように見えていたのかはわかりませんが、ある種のメタフィクションというような見方もできます。
時空の二重構造のような効果を狙うには、観客との間にある程度の共通認識が必要だろうと思いますので、「予感」として設定されている平家物語のエピソード『実盛』はそれなりの常識だったはずだと思います。
現代人の間では江戸時代人ほどの共通認識がありませんので、少しおさらいしてみました。元の文も美しく胸に迫りますので少しずつご紹介いたします。
平家物語 巻第七『実盛』 あらすじ
木曽義仲との篠原合戦。齢70歳を過ぎた斎藤実盛は、平野宗盛の許可を得て、若々しい赤地の錦の直垂を着用し白髪を黒々と染めて出陣する。義仲の軍勢を前に一人踏みとどまった実盛は、決して名乗らぬまま義仲の家臣 手塚太郎光盛に討たれた。
義仲は実盛なのではないかと気が付くが、黒髪のはずがない。しかし家臣の樋口次郎が確認すると、これはまさしく実盛。かつて実盛は「60歳を過ぎて戦いに出る時は、神と髭を黒く染め、若作りをしようと思う。若者と先を争うのも大人げないし、老武者だと侮られるのも悔しいからね」と言っていたのだった。首を洗ってみると、黒染めは流れ落ち、実盛の白髪頭が現れた。
平家物語 巻第七『実盛』 元の文(一部)
(実盛の首を見た樋口)
樋口参りただ一目見て、涙をはらはらと流いて、あな無慚やな、斎藤別当にて候ひけるぞや、実盛常に申ししは、六十に余つて戦をせば、若殿原と争ひて、先を駆けんもおとなげなし、また老武者とて人々に、侮られんも口惜しかるべし、鬢髭を墨に染め、若やぎ討死すべきよし、常々申し候ひしが、まことに染めて候、洗はせて御覧候へと 樋口次郎涙をはらはらとながいて、さ候へばそのやうを申しあげうど仕り候が、あまり哀れで不覚の涙のこぼれ候ぞや。
げに名を惜しむ弓取は、誰もかくこそあるべけれや、あらやさしやとて、皆感涙をぞ流しける。
カッコいいですよね。実盛が貫いたポリシーが死後に樋口の口から伝えられる点がドラマチックで、実盛自身が自分で言っているよりも何倍もカッコよく感じられます。まさに「語り継がれる男」というようなありようが浮かびます。
前回お話した源義仲も悲劇性のある人生を送りフィクションの主役として非常に魅力的な人物のはずであるのに、現行の演目では実盛の方が有名なのも、このカッコよさにあるのかもしれませんね。観客が見たいと思うばかりでなく、歌舞伎役者の方々に演じたいと思わせた役どころなのではないかなと思われました。
参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎登場人物事典/床本集/歌舞伎手帖/平家物語/中世・近世芸能が語り伝えた斎藤実盛 : 謡曲と『 源平盛衰記』を経て木曾義仲関連の浄瑠璃作品へ 岩城 賢太郎 武蔵野大学能楽資料センター紀要 2011-03-31