歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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源平布引滝のいろいろ 実盛物語と能の『実盛』

新橋演舞場で上演されている團十郎襲名記念特別プログラム「SANEMORI」の上演に際して『源平布引滝』の内容を振り返るなかで、改めて物語の持つ魅力を感じました。

 

源平布引滝』は比較的上演頻度の高い演目です。何度も拝見したつもりの演目でも、演者の方の影響や自分の成長に伴って視点が変わると、そのたびに新たな発見があります。そんなときつくづく歌舞伎はおもしろいなあと感じます。私は不勉強でして一度見ただけで全て理解できるわけではなく、とにかく時間がかかっていますが、そのぶん楽しみが長年続いているのではないかと踏んでいます。

 

そんな『源平布引滝』について、思いつくままつらつらと補足情報を述べてみたいと思います。何らかのお役に立つことができれば幸いです。

実盛物語と能の『実盛』

斎藤別当実盛 (源平英雄競)  一寿斎芳員

国立国会図書館デジタルコレクション

 

源平布引滝』の斎藤実盛は、平家物語に描かれている「木曾義仲の家臣・手塚太郎に討たれる」という死のエピソードを予感させるというおもしろい役どころです。

平家物語における実盛は、老人の身でありながら白髪を黒く染めて義仲勢と戦った末に手塚太郎に討たれます。武士の鑑のような描写で、自身の美学を貫いて果てたというかっこいいイメージが歌舞伎の舞台にも反映されています。

 

ところが能の『実盛』での実盛は、亡霊として出現しているのです。

この能は、「斎藤実盛が没後200年目に亡霊として出現(『満済准后日記』応永21年(1414)5月11日条)」というニュースを受けて、世阿弥が書いたものだと伝わっています。実盛の霊が首洗い池のほとりに出現し、遊行上人に回向を求めたというものでした。

実際に亡霊として出現したのかどうかはさておき、このニュースは何らかの共通イメージがあってのものと思います。実盛はなぜに「成仏できていない」と考えられたのでしょうか。

 

能の謡の内容はこのようなものです。

その執心の修羅の業 めぐりめぐりてまたここに
木曽と組まんとたくみしに
手塚めに隔てられし 無念は今にあり

木曽義仲と組み討たんと企んでいたのに手塚めに隔てられたことが「無念」で、それに「執心」しているという内容です。

 

老武者の悲しさは
軍にはし疲れたり 風にちぢめる 枯木の力も落ちて
手塚が下になる所を 郎等は落ちあいて
ついに首をばかき落とされて 篠原の土となって
影も形もなき跡の 影も形も南無阿弥陀仏
弔らいてたびたまえ 跡弔らいてたびたまえ

老いて力なく討たれた悲愴が、これでもかと描写されています。

 

歌舞伎の実盛だけを見ていますと、義仲を討つことができずに手塚太郎に討たれたことの悔しさで、200年にわたってさまよい続けた人物のようにはとても思えません。

しかし、義仲の縁者を呪い殺してやろうというのではなく弔いによる救いを求めている点に、平家物語的な死生観や、実盛らしい美学も感じられるのがおもしろく思われました。

 

私は日ごろ歌舞伎ばかり見ていますので、芝居の登場人物をつい歌舞伎におけるイメージ優先で捉えてしまうのですが、改めて史実や他の芸能での描写を探ると、たくさんの発見がありました。

私自身は、芝居は所詮フィクションであって史実こそが重要とは思っていません。各時代の人々にとっての理想や喜び悲しみは、フィクションの中に残されていると考えているからです。人物に奥行きが生まれたことで、芝居がより楽しくなるように思います。改めて歌舞伎の「義賢最期」「実盛物語」を拝見するのが楽しみです。

 

参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎登場人物事典/床本集/歌舞伎手帖/平家物語/中世・近世芸能が語り伝えた斎藤実盛 : 謡曲と『 源平盛衰記』を経て木曾義仲関連の浄瑠璃作品へ 岩城 賢太郎 武蔵野大学能楽資料センター紀要 2011-03-31

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