ただいま歌舞伎座で上演中の三月大歌舞伎
第二部「仮名手本忠臣蔵 十段目 天川屋義平内の場」は大人気作・仮名手本忠臣蔵の中でも比較的上演頻度の低い場面でして、この場面のみが上演されるというのもなかなか珍しいです。私自身も見たことがあるようなないような…と思っておりましたが、調べたところ7年ほど前の国立劇場での上演の際に拝見していたようです。結構な年月が経っていますね。
それほど少ない機会ですので、演目について少しばかりお話したいと思います。芝居見物や配信の際などのお役に立てれば幸いです。
天川屋義平とは誰なのか
国立国会図書館デジタルコレクション
前回は仮名手本忠臣蔵とはなんなのかについて簡単におさらいしました。
続いて、十段目の主役である天川屋義平についてお話いたします。
天川屋義平が登場するのは全十一段におよぶ仮名手本忠臣蔵の十段目。限りなくラストに近い場面です。連続ドラマでいうと、最終回直前の回で起こるひと波乱といったところでしょうか。
天川屋義平は、あらゆる犠牲を払って討ち入りのための武具馬具を調達し、町人の身でありながら塩冶家浪人たちを支えた義侠心の男です。その心を買われ、塩冶家の浪士たちは「天」「川」を討ち入りの合言葉に。結果、見事師直を討ち取るのでした。
当時の価値観では「忠義」はさむらいの美徳とされていました。そんななか町人にだって義侠心はあるんだと主張する天川屋義平は大衆の胸を熱くするようなキャラクターであったようで、江戸時代当時は人々の間で大変人気があったそうです。
これは町人たちが、さむらいとは異なる身分に位置づけられていたためですね。日々懸命に働き社会を動かしているにもかかわらず、さむらいたちの支配の元で暮らしていた町人たちにとって、天川屋義平はヒーローに映ったのだろうと思います。
天川屋義平の義侠心を象徴する「天川屋義平は男でござる」というカッコいいセリフもまた、人々の胸をつかんだ一因ではないでしょうか。一言でズバッと決まっていますよね。あらゆる説明を削ぎ落した見事なセリフだなと思います。
現代の価値観では時代錯誤なセリフですが、「男=義侠心」というのは当時の社会通念においてのものです。その点はどうぞご容赦ください。
そんな天川屋義平という名前は、天野屋利兵衛という大坂の商人の名前をもじったものです。
天野屋利兵衛は赤穂藩に出入りし、赤穂浪士のため武器を調達するという秘密のミッションを完遂。赤穂浪士討ち入りの後に捕らえられ、拷問にかけられても、決して口を割らなかった人物だと伝わっています。まさに天川屋義平。カッコいいですね。
ところが、天野屋利兵衛という商人は、実際には赤穂浪士とは特に関係がなかったと考えられています。
天野屋利平は大坂北組の惣年寄として岡山池田家、熊本細川家の御用をきいてはいましたが、赤穂藩の浅野家とは無関係であったようなのです。どうやら天野屋利兵衛と赤穂浪士のつながりの話そのものがそもそも作り話であったのに、いつしか既成事実化され、さらに劇化され、天川屋義平のキャラクターが作られたようです。
天川屋義平のモデルは天野屋利兵衛よりもむしろ、赤穂浪士の後援者をしていた京都の商人・綿屋善右衛門だと考えられています。
綿屋善右衛門は赤穂浪士に大金を支援したり、本懐を遂げた浪士のためにお寺を建立してあげたりと、心を尽くして実質的な支援を行った人物だそうで、まさに討ち入りの功労者です。綿屋善右衛門は男でござる、と言うべきところ、なにやら気の毒なような気もします。
参考文献:新版歌舞伎事典・歌舞伎登場人物事典・国立劇場上演台本