今日の東京は肌寒かったように思いますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
このすえひろはといえば、この冬の忙しさがひと段落しまして、ようやく春を迎えたような晴れやかな気分です。春は芝居が忙しい季節ですから、今のうちによく休んで備えたいと思います。
それはさておき、歌舞伎座の三月大歌舞伎 第二部で上演されていた「仮名手本忠臣蔵 十段目 天川屋義平の場」にちなんだ浮世絵を発見いたしました。かっこいいのでひとつご紹介したいと思います。
三代豊国「梨園侠客伝」より 市かハ団ぞうの天川屋義兵衛
三代豊国というのはいわゆる歌川国貞のことで、浮世絵史上もっとも多作の浮世絵師として知られています。特に美人画と役者絵において大変活躍し、大ヒットを飛ばしてぶいぶい言わせていた人気絵師です。初代歌川豊国の門人であり、師匠の死後勝手に二代豊国を名乗っていたらしいのですが、実際には二代目がいたため三代豊国と言われています。当時の絵師というのは現代の画家とは違うのですが、きっと自我の強い方だったのであろうなと思わせるエピソードですよね。ヒット作を量産するクリエイターというのはやはり強烈な己を持っている人なのかなと思います。
そんな三代豊国の役者絵シリーズ作品に「梨園侠客伝」なるものがあります。歌舞伎のお芝居に登場する「侠客」の姿を描いた作品です。侠客という字面からはやくざ映画のようなものを想像してしまうのですが、そうではなく、義を通すカッコいいい男たちというようなイメージです。
梨園侠客伝のなかには、「市かハ団ぞうの天川屋義兵衛」というものがありました。
三代豊国「梨園侠客伝」より 市かハ団ぞうの天川屋義兵衛
国立国会図書館デジタルコレクション
市かハ団ぞうはおそらく市川団蔵(團藏)のことであろうと思います。文久3年(1863)~元治元年 (1864) あたりの作品であることと、顔つきの印象からおそらく六代目の市川団蔵ではないかと思われます。
しかしながら六代目はそれほど人気を上げておらず、五代目の団蔵は渋さが魅力で「渋団」と呼ばれるような人気があったそうですから、没後に描かれた五代目の姿という可能性もあるかもしれません。
長持の上にどっかりと座っているシーンですよね。今月芝翫さんが取っていた見得の形に似たポーズです。腕の筋肉の表現といい、顔のしわの表現といい、いかにも侠客伝というようなカッコよさがあります。天川屋義平は大衆的な人気があったそうですから、人々はこの絵を買い求めてときめいていたのではないでしょうか。
こうして浮世絵を眺めていますと、当代芝翫さんの顔かたちは本当に浮世絵のような立派さであるなあとつくづく思います。十段目の天川屋義平はぴったりとはまっていましたし、また上演があるといいなと思います。
国立劇場さよなら公演で仮名手本忠臣蔵の通しがあったらうれしいと思っていましたが、どうやらなさそうな気配ですね。もう長らく拝見しておりませんので、ぜひ拝見したいところです。