歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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團菊左そろい踏み 元幕末の志士 楊洲周延と、明治の最先端 新富座の「土蜘」

東京では少し肌寒い陽気でしたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

このすえひろはといえば、いよいよ開幕したセリーグパリーグの交流戦を楽しんでおります。愛猫を亡くしてからというもの、野球で日々の気持ちの隙間を埋めております。芝居ですとどうしても生き死にについて考えてしまうので、勝つか負けるかというシンプルなところや、歌舞伎の興行以上に頻繁に試合が行われているところに救われます。明日からも熱い試合が楽しみです。

 

さて、歌舞伎座で開催されていた團菊祭にちなみまして、まさに團菊そろい踏みの浮世絵を発見いたしました。千穐楽は過ぎてしまいましたがせっかくですのでご紹介いたします。

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楊洲周延 明治14年6月新富座の土蜘

〔土蜘 明治14年6月上演 新富座〕 (俳優似顔錦絵) 揚州周延/国立国会図書館デジタルコレクション

幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師・揚州周延の作品。描かれているのは明治14年6月に新富座で上演された「土蜘」の舞台で、五代目菊五郎の土蜘の精、九代目團十郎の兵卒軍内、初代左團次の平井保昌、八代目半四郎の芸妓小半、四代目芝翫の供奴駒平という配役です。

 

まさに團菊祭で讃えられている九代目團十郎と五代目菊五郎が中心に据えられています。左が九代目團十郎、右が五代目菊五郎です。このお二人と右手の初代左團次の三人が明治の劇界に一時代を築き、「團菊左(だんぎくさ)」と呼ばれています。

俗に「團菊じじい」という存在をご存知でしょうか。九代目團十郎と五代目菊五郎こそが歌舞伎の最高峰であり、その後の時代の役者はまったく及ばないということを殊更に主張したがった人々のことを指すことばです。今様にいえば古参のマウントというようなところでしょうか。古参マウントというのは非常に不毛な議論だと思うのですけれども、團菊はそれほどに見た者の心に火をつけ、激動の時代を共に生きたことを誇れる存在だったのだと思います。

 

また作者の揚州周延は、幕末期に浮世絵師としての活動を中断し、新政府に抵抗する彰義隊とともに志士として戊辰戦争を戦った異色の経歴の持ち主であります。戦争の終結後高田藩預かりとなり、謹慎生活を経て帰京、再び浮世絵師として職場復帰したのでした。

この絵はそんな揚州周延が、ガス灯の灯る最新鋭の新富座で行われた歌舞伎芝居を描いたもののひとつです。時代の変化のなか周延のなかでどのような思いが渦巻いていたのか、團菊の存在をどのように感じていたのか、想像が膨らみます。

参考文献:公益財団法人馬事文化財団

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