寒い夜が続きますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
このすえひろはといえば、先週から確定申告とそれに伴うチェック作業に忙殺されておりました。1月中に確定申告を終えることにカッコよさを感じ、憧れ、目標としてしまい、毎年この時期に無理をしております。
「紙で保存してはいけない」という電子帳簿保存法への対応をコツコツ頑張っていたのに、「仕訳帳・総勘定元帳は必ず紙で保存してください」との文言が目に入った時は、なんだかもう落語のようで椅子から転がり落ちそうでしたが、ぐっと堪えて今年も頑張ります。
それはさておき先日、新春浅草歌舞伎の千穐楽を一部・二部通して拝見してまいりました!
松也さんを中心とした7人の方々は今回をもって新春浅草歌舞伎の出演は一区切りと前もって発表されています。その締めくくりとして二部の後に長いカーテンコールがあり、それがとても素敵でしたので、備忘録として内容をしたためておきたいと思います。私の主観もこもります。こういったレポートが苦手な方はどうぞ、この先をお読みにならないようお気をつけください。
芝居本編の大詰のような仕立ての長尺で、20~30分くらいあったと記憶しております。当時高揚しており、また3階の後ろの方で見ていたということもあり、記憶違いがあるかもしれません。誤りがありましたら何卒ご容赦くださいませ。
千穐楽カーテンコール
通常通りに魚屋宗五郎が幕となると、米吉さんのおなぎと、種之助さんの三公が客席に現れ、宗五郎とおはま夫婦を探しているというていで客席を歩いていました。戸惑う客席に米吉さんが「今ご覧になっていたんじゃありませんか、何をご覧になってたんですか」「おはまさんは背が高い方で…」などと話しかけて、笑いが起きていました。
そのうち花道から松也さんの宗五郎と新悟さんのおはまが現れ、おなぎと三公と合流。宗五郎とおはまは、お殿さまからきちんとした謝罪があった旨、ご家老さまの助け、典蔵の成敗などなどについて報告します。
そして、なにやらお殿さまたちが浅草見物をしているらしいというような話になって、4人は舞台へ。幕が開くと、第一部「どんつく」の背景として使われていた浅草の風景の絵の前で、隼人さんのお殿さまと歌昇さんのご家老さまが浅草見物のてい。4人と手を振り合って合流します。
典蔵は…というところへ、素顔で紋付姿の橋之助さん莟玉さんに両腕をつかまれた巳之助さんの典蔵が登場。顔には血のりがついていて、しっかりとこらしめられたようです。ここまでしっかりとカーテンコールの演出が用意されているなど夢にも思いませんでしたし、歌舞伎ではあまりないことなので、名残惜しい公演が素敵な形で延長されていることがうれしく夢心地でありました。
メンバーが出揃ったところで、役からご本人に戻ってそれぞれ一言ずつ挨拶がありました。正確な順番や文言などがちょっと思い出せないのでここは本当にニュアンスで呼んでいただければと思います。
確か最初は歌昇さんでした。浅草公会堂は吉右衛門さんの思い出が詰まっている場所と。播磨屋のたくさんの役を学んだというお話がありました。千穐楽の熊谷は本当に素晴らしく、いつの間にか歌昇さんが熊谷をお勤めになっているんだという現実世界の感慨を超えて、物語世界の中の熊谷の姿に涙しました。いつの日か必ず歌舞伎座の本興行で拝見したい熊谷陣屋でした。
巳之助さんからは、三津五郎さんから最後に教えてもらった踊りが現メンバー最初の浅草で踊った「独楽売」であったこと。踊りは沢山教えてもらったが、芝居は少なく、唯一(唯一ではなかったかも?とにかく少ない)教えてもらったのが、熊谷陣屋の義経だった。今回歌昇さんの直実で義経を務められたことはご褒美だと思う、とのこと。ぐっときました。
種之助さんは、魚屋宗五郎で勢いあまって家の一部を破壊してしまうというアクシデントがあったことから、「家を壊してごめんなさい」という一言で笑いを添えてくださいました。播磨屋の芸を受け継いでいくことが自分の人生の目的(目標だったかも)だったけれども、浅草歌舞伎を通じて新しい世界が見えたというような。ここのところの種之助さんの彩り豊かなご活躍は、まさしくお話の通りだと思います。
新悟さんは、現メンバー最初の年の浅草には出演しておらず、悔しく思っていた旨。言葉に詰まり、涙されていたようでした。浅草歌舞伎の舞台に立たれ、一部二部ともに非常に大きな役どころを担い、今どれほどの思いか。言葉は少なかったのですが、胸中を想像しただけでちょっともう、これが泣かずにいられるかいなという。
米吉さんからは、八重垣姫やお富など現在の年齢実績ではとてもできないような、大役をいただいたことへの感謝が語られました。さらに、前代の猿之助さん愛之助さんへの感謝、最後に二人から実際にバトン(実物)を受け取った旨を。そしておなぎさんの手荷物から緑色のバトンを取り出し、橋之助さんと莟玉さんに文字通りバトンが渡されました。橋之助さんが控えめにしている莟玉さんの手を引いて、二人で中央に出て受け取っていた点がぐっときました。
隼人さんからは、浅草歌舞伎に出始めたころは、12カ月の歌舞伎公演のなかであまり役をいただけないこともあったが、一月に大きな役をもらえることがうれしくて、それを励みに一年頑張っていた旨。先輩方から怒られた辛い思い出の方が多いけれど、浅草公会堂には亡くなられた先輩方の思い出が詰まっているというような。これも涙声だったような記憶があります。きっと直接教わった方だけでない様々な先輩方がこの空間に出入りして、舞台に厳しいまなざしを送っていたんだろうな、あの方かなこの方かなと、思いを馳せました。
終盤に話を振られた橋之助さんは、若干動揺が見られたのでもしかしたらお話をする予定がなかったのかもしれませんが、バトンをしっかりと次につなぐ意気込みを語られていました。
続く莟玉さんのお話では、当初部屋子だった自分も同じように看板に名前を入れて、お役をもらい、松也兄さんが「部屋子なんて関係ない、一緒にやろう」と言ってくれたと。これも現メンバーの絆を感じる一言でした。実際に松也さんは、様々な立場の後輩の方々とともに新作刀剣乱舞を上演しているわけで。浅草歌舞伎はこれで一区切りとなりますが、またこうした企画をぜひ上演してほしいです。
最後はもちろん松也さんでした。松也さんからは様々な方々への感謝、特に浅草の町の方々への感謝が語られました。コロナ禍などで2年間上演ができなかったが、この浅草歌舞伎を自分たちの代で絶対に終わらせたくないと、その一心で頑張ってきたと。浅草歌舞伎を通じて、芝居はもちろん、お客さんに来ていただくということ(PR的なことから看板という意味での興行の責任など)について、本当に勉強させたいただいたとのことでした。
皆さんひとりひとり分量はそれぞれでしたが、とにかく本当に率直な、用意された言葉ではないその場に際しての心からの言葉に感じられ、非常に胸に迫りました。
そして、今回で一区切りとなる7人は花道へ向かいました。
松也さんが花道へ向かう前に、橋之助さんと莟玉さんに握手をして声をかけていたようです。松也さんから肩を抱かれた莟玉さんのお顔が赤くなっていたので、きっと涙ぐまれていたのではないかなと思います。
そのまま7人は花道に並び、「あとは頼んだよ」と。舞台に残った橋之助さんと莟玉さんが見送るなか幕が引かれ、7人も花道を去っていったのでした。
あの場限りであることがもったいない素晴らしいカーテンコールで、皆様が本当に良い絆を築かれた10年間であったことが伺い知れました。皆様も繰り返しおっしゃっていたとおり、来年からの浅草歌舞伎も楽しみに拝見したいと思います。
最後に。千穐楽最後のお年玉ご挨拶で松也さんが、「10年前の初日はお客さんが入るか不安で、袖からお客さんが入っている姿を見て泣いているメンバーもいた(意訳)」とおっしゃっていたのが強く印象に残りました。
今の充実ぶり、人気ぶりからすると客観的にはその不安は信じがたいのですが、確かにその時はそう思っていらしたのだなと思うと、一日一日の積み重ねがいかに人を遠くまで連れていくかを思い知らされたようです。
伝統芸能は外側から見ると、特別な立場の方が定められた事柄を何百年も自動的に続けているかのように見えますが、実際は生身の人間が不安を抱え歯を食いしばりながら一日一日進んでいるんだということに改めて気づかされ、その営みの美しさに胸が熱くなりました。みなさまの浅草卒業後のご活躍を心から楽しみにしております。