ただいま歌舞伎座で上演中の
七月大歌舞伎!
昼の部「歌舞伎十八番の内 外郎売」では、
海老蔵さんのご子息の勸玄さんが見事な言立てを披露され
メディアなどでも大きな話題になっていますね!
これ以上ないほどの機会ですので、
このすえひろも外郎売について少しばかりお話してみます。
芝居見物のお役に立てればうれしく思います!
舞台から消えてしまった「言い立て」
歌舞伎十八番の内 外郎売(ういろううり)は、
1718年(享保3年)のお正月に江戸は森田座で上演された
「若緑勢曾我(わかみどりいきおいそが)」をルーツとする演目。
きちんとした筋が確立されたお芝居というわけではなく、
初演の二代目團十郎の魅力を生かした上演スタイルのひとつであるということは、
その一でお話いたしました。
スーパースターの團十郎が薬箱を背負い、その滑舌のよさを発揮して
宣伝口上であるところの「言い立て」をスラスラと澱みなく聞かせる…
というところが最大のおもしろさであったわけですが、
時を経ると独立したひとつの演目としてではなく「助六」の中に吸収されたりして、
しばらくの間上演が絶えてしまう…という状況になってしまったようです。
確かに二代目團十郎ありきで生まれた演目であるわけですから、
演じる人が代々替わっていけば、
次第に魅力も薄れていってしまうものかもしれません。
シカゴ美術館 勝川春章 二代目市川海老蔵 「外郎」
おまけになんと最大の見どころ
「言い立て」そのものがなくなってしまうという時期がありました。
それは江戸から時代がガラリと変わった大正、そして昭和のこと。
当時の團十郎によって「外郎売」を取り入れた演目自体は上演されたようですが、
曽我対面の趣向に組み込んだりして常磐津や長唄の舞踊として上演されるのみ。
肝心の「言い立て」はどのように発していたのか
ついに失われてしまいかけたのであります。
伝統芸能というイメージから、
歌舞伎の演目は何百年ものあいだ形を少しも変えずに
繰り返し繰り返し上演されているのだろうと思ってしまいますが、
消えてしまった演目、すっかり変わってしまった演目の方がずっと多いようです。
それはやはりその時代時代で、お客さんに求められていたのかどうか?
ということに尽きるのではと思います。
常に今を生きているエンターテインメントなのだなあと
改めてその奥深さを感じますね。
最大のみどころ言い立てがどんなものであったか
ついにわからなくなってしまった「外郎売」
一体どうなってしまうのか?というところで、次回に続きます。
参考文献:新版歌舞伎十八番/新版歌舞伎事典/歌舞伎 家・人・芸 ほか