ただいま歌舞伎座で上演中の
芸術祭十月大歌舞伎!
昼の部「御摂勧進帳」は、先月上演されていた「勧進帳」と
深いゆかりのある演目ですので少しばかりお話してみます。
何らかのお役に立てればうれしく思います!
「勧進帳」にもいろいろ
御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)は、
1772年(安永2年)に江戸は中村座にて初演された演目であります。
全部で六幕構成の演目ですが現在では主に「加賀国安宅の関の場」が上演されており、
弁慶が切った首をごろごろと豪快に洗うさまから「芋洗い勧進帳」と通称されている
江戸時代らしい大らかな荒事の演目です。
「加賀国安宅の関」とあるように、
お芝居の元の題材は「義経記」や能の「安宅」からとられています。
・義経が兄頼朝から追われている
・弁慶たちは義経を守るため山伏の姿で安宅の関を通ることに
・安宅の関では富樫左衛門がこれを詮議
・弁慶は疑いを晴らすべく、勧進帳を読み上げる
・さらに主君の義経を守るため金剛杖で打擲
・情け深い富樫は一行の通過を許す
…と、「歌舞伎十八番の内 勧進帳」と全く同じポイントがたくさんあります。
しかしながら、演目のあじわいはまるで正反対であるのがおもしろいところです。
「御摂勧進帳」の方が成立年は早いのですが、
「勧進帳」の方がぐっとシリアスかつドラマチックに仕上がっており
数ある歌舞伎演目の中でも名作中の名作として大変有名になっていますね。
この二つのあじわいの違いは主に弁慶のキャラクターにあるように思います。
御摂勧進帳の弁慶が豪快勇壮でありながら、めそめそと泣いてみたりと子供のような一面があるのに対し、
勧進帳の弁慶は非常にクレバーで冷静沈着なイメージでした。
その上、舞台の上も大変シンプルに様式化されスタイリッシュな仕上がり。
演目全体になんとなく知的でオトナなムードが漂うのであります。
そして團十郎の家の芸「歌舞伎十八番」として制定されたのは
荒事の「御摂勧進帳」ではなく「勧進帳」の方…というのも興味深い点です。
おそらく1771年(安永2年)から1840年(天保 11) 年の間に
役者の意識も大きく変化して、高尚な芸術を目指そうという思いが
ふつふつと芽生えていったのではないかなあと思います。
しかしながら「勧進帳」の初演は、観客にはなかなか不評であったようです。
役者の意識の変化が観客たちに浸透していくのにはかなりの時間差があったのですね。
参考文献:新版歌舞伎事典/百科事典マイペディア/日本大百科全書(ニッポニカ)/勧進帳 渡辺保