歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい研辰の討たれ その一 昭和初期の「研辰ブーム」

ただいま歌舞伎座で上演中の吉例顔見世大歌舞伎

昼の部「研辰の討たれ」は上演の頻度は比較的低いものの、

大正時代の近代的視点が見える興味深い演目でありました。

せっかくですので、この機会に少しばかりお話してみます。

芝居見物のお役に立てればうれしく思います。

昭和初期「研辰ブーム」の必然

研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)は、

大正・昭和期の木村錦花が大正14年(1925年)の雑誌「歌舞伎」九月号に発表した読み物を、

錦花よりも20歳近く年若く脚色の活躍で知られている平田兼三郎(兼三とも)なる人物が、

一幕三場という実にちょうどよい尺の芝居として見事に脚色、

その年の暮れに歌舞伎座で初演されたものであります。

 

初演で守山辰次を勤めたのは二代目市川猿之助、のちの初代猿翁です。

この方は欧米へ演劇の視察の旅へ出たり中国で歌舞伎公演を行ったりと、

新たなことに数多く取り組まれた革新的な役者でありました。

 

そんな二代目猿之助の「研辰の討たれ」は、評論家の浜村米蔵いわく

人間の運命といつたものに何処かで、ひやりと触つたような気持ち

(「猿之助と『研辰』)

のする、可笑しさと哀れさを兼ね備えた素晴らしいものであったそうであります。

 

また、最後の場面で敵討ちを見物している群衆も特筆すべき存在でした。

群衆は兄弟に味方したかと思えば、命乞いをする辰次が可哀想だと自由に発言し、

まさしく世論の熱狂というような不穏な状態を可笑しみをもって表現しています。

作家の平山蘆江も「研辰の芝居」にて

これほど巧みに群衆を利用したのは恐らく此芝居がはじめてではあるまいか

と述べており、当時の人々の思いを知るためには非常に貴重な資料であると思われます。

 

この好評を受けて「研辰」シリーズの演目がどんどん作られただけでなく、

昭和初期には演劇・演芸・映画まで派生する「研辰ブーム」を巻き起こしたのでした。

研辰はいわゆる大正デモクラシーが発展した結果、

民衆としての意識を高めた人々に求められていた視点であったのだと思います。

義理人情の世界を描き出すことで知られる小説家の長谷川伸も、

小説だけでなく考証のエッセイなどを残しており、大きな影響を受けたと思われます。

 

余談ですが、脚色の平田兼三郎は明治27年に生まれ、

二十歳前後のみずみずしい年ごろで大正時代を迎えた人物であります。

そのため「研辰の討たれ」には自由闊達で文化の華やいだ

明治後期から大正ならではの視点が色濃く反映されていると思われます。

 

実はこの平山兼三郎、木村錦花の読み物から芝居を作る際、結末を少し変えているのです。

錦花の書いた「研辰の討たれ」は、研辰の敵討ちに手こずった兄弟が、

なんて馬鹿馬鹿しい、つまらないことだったんだろうと嘆息して、

国へ帰るのを中止してしまうというのが結末です。

 

しかし、平山兼三郎の「研辰の討たれ」の結末では、

兄弟が「これは人殺しなのではないか…」「これで褒められるのは苦しい」と罪の意識を持ちながらも、

家や出世のことを考え、敵討ちを果たし帰国するのです。

研辰だけでなく兄弟もまた敵討ちが人殺し同然の行為であることやその虚しさを実感することで、

テーマがよりハッキリと感じられるようになりました。

 

熊谷陣屋や義経千本桜など戦いの虚しさを描く芝居は他にもありますが、

研辰の討たれ」はそれらとはまた視点の変わった変化球的作品でありながら

より直接的にメッセージが伝わるものとなっています。

 

今年は大河ドラマ「いだてん」で明治時代から東京オリンピックまでの近現代史が深く描かれていますが、

ほんの数十年での空気の変化や、それに翻弄されるしかない人々の様子には胸が詰まるような苦しさがありました。

研辰の討たれ」ももう少し時代が下っていたら、全く別のものに変わっていたかもしれません。

たった15年間しかない大正時代ですので、当時の視点が芝居に残っているのは貴重なことですね。

 

 

参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎登場人物事典/朝日日本歴史人物事典

『研ぎ辰の討たれ』の成立 大阪芸術大学文芸学科教授 出口逸平

新版 歌舞伎事典

新版 歌舞伎事典

 

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