歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい研辰の討たれ その二 守山辰次のモデル?

ただいま歌舞伎座で上演中の吉例顔見世大歌舞伎

昼の部「研辰の討たれ」は上演の頻度は比較的低いものの、

大正時代の近代的視点が見える興味深い演目でありました。

せっかくですので、この機会に少しばかりお話してみます。

芝居見物のお役に立てればうれしく思います。

守山辰次と近江の国の研ぎ師・辰蔵

研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)は、

大正・昭和期の木村錦花が大正14年(1925年)に発表した読み物を、

錦花よりも20歳近く年若く脚色の活躍で知られている平田兼三郎(兼三とも)なる人物が、

一幕三場という実にちょうどよい尺の芝居として見事に脚色、

その年の暮れに歌舞伎座で初演されたものであります。

 

その一では、初演の二代目猿之助の活躍で好評を博し

昭和初期のエンタメ界に「研辰ブーム」が巻き起こったというお話をいたしました。

そのブームの一助として平山兼三郎の脚色の妙があったわけですが、

原作を書いた木村錦花の功績もまた大きなものですので、

その成り立ちについても少しお話したいと思います。

 

劇作家でもあり松竹の幹部であった木村錦花は、

関東大震災の後に関西へ引っ越し、上方の仇討本を読みあさるなかで

1827年(文政10年)に讃岐国で実際に起こった敵討を

お家騒動と組み合わせてアレンジし、幕末から明治にかけ上方で人気があった芝居

敵討高砂松」を見つけたのだそうであります。

 

 

その中に登場する、弁が立ち利口で人間味のある敵役・守山辰次(研辰)に、

錦花が愛着を覚えたことが「研辰の討たれ」を書く発端であったようです。

錦花は守山辰次を剣術を知らぬ町人として特徴づけ、

敵討に際してはなりふり構わず命乞いをさせるという味付けをしたわけであります。

 

そもそも守山辰次のモデルは、史実の人物であるようです。

それは、近江国膳所で研ぎ職人をしていた辰蔵なる男。

辰蔵は1823年(文政6年)自分の妻と膳所の藩士平井市郎次を殺して逃亡、

4年後に平井の弟たちから讃岐にて討たれた…という、こういってはなんですが、

特にこれという特徴のないごく普通の敵討事件の敵のように思われます。

 

しかしながら、この辰蔵は実は酒乱であり、

妻にも暴力をふるうという危険な男であったという説もあるのです…!

そのうえ平井市郎次が辰蔵の妻に横恋慕して、

辰蔵の留守のうちに不倫関係となってしまったのだそうであります。

これに怒り狂った辰蔵が、職人の腕でピカピカに研ぎあげた刀でもって、

ふたりをバッサリといってしまった…という非常におそろしい話なのです。

 

諸説あり、これが事実とは言い切れませんが、

いかにも江戸時代の人々が盛り上がりそうな内容ですから、

瓦版や芝居でたくさん脚色されて広がっていったようであります。

 

滋賀県で発生して香川県で達成した敵討ちとなると、

平井の弟たちは辰蔵を見つけ出すまでになかなか苦労したのではないかと思います。

しかしながらこの説をふまえますと、

敵討ちといっても、悪い人は一体誰なのか…という思いも浮かんできてしまいます。

人の善悪というのは白黒はっきりとはいかないものですね。

 

研辰の系譜――道化と悪党のあいだ

研辰の系譜――道化と悪党のあいだ

 

参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎登場人物事典/朝日日本歴史人物事典

『研ぎ辰の討たれ』の成立 大阪芸術大学文芸学科教授 出口逸平

『敵討研屋辰蔵』考 出口逸平/『綾南町誌』

 

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