ただいま歌舞伎座で上演中の十二月大歌舞伎!
夜の部「神霊矢口渡」はここ数年にわかに上演頻度の高くなっている演目であるため、
この機会に少しばかりお話してみます。
芝居見物のお役に立てればうれしく思います!
まずはお話の前提から…
神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)は、
1770年(明和7年)に江戸の外記座にて初演された人形浄瑠璃の作品。
約四半世紀後の1794年(寛政6年)にて歌舞伎として上演され、
作者は福内鬼外こと平賀源内で、吉田冠子、玉泉堂、吉田二一が補助として入っていました。
めずらしい江戸生まれの義太夫狂言のなかでも傑作として知られるものであります。
全五段にわたる物語でありますが、
今月上演されているのは四段目の切にあたる「頓兵衛住家の場」です。
この場面は特に人気があるため繰り返し上演されています。
四段目の切、というのは長い物語の中でも重要な場面だったり、
ドラマチックな場面が置かれることが多い傾向にあり、
四段目の切だけが上演される演目もたくさんあります。
本当は五段目まであるのに、その前の段の方が人気を集める…というのはなかなかおもしろい現象です。
テレビドラマでも、最終回よりその前の回の方がおもしろかった気がする…というのはよくあることで、
もしかしてこれもまた日本の文化なのかなあと興味深く思います。
そんな、神霊矢口渡の題材となっているのは軍記物語「太平記」
鎌倉幕府を滅ぼした武将・新田義貞亡き後の新田一族にまつわる物語であります。
新田一族には、立派な武将として活躍していた義貞の子・新田義興が、
多摩川の矢口の渡しにおいて家臣の裏切りに遭い、
28歳の若さで謀殺されてしまうという…悲劇があったばかり。
遺子の徳寿丸を守り育てねばならず、弟の新田義峯は落ち武者になってしまい、
それでも新田家を再興せねばならぬ…という苦しい状況にあります。
この新田義峯が兄の菩提を弔うため、最期の地である矢口の渡しを訪ねにきた…
というのが「頓兵衛住家の場」の前提です。
実際の歴史上の人物が登場する場合、歌舞伎では名前をもじることが多くありますが、
この作品ではそのまま「新田義峯」として登場します!
次からは内容についてお話していきたいと思います。
参考文献:日本大百科全書/新版歌舞伎事典
平賀源内『神霊矢口渡』についてー福内鬼外論序説ー福田 安典
日本女子大学紀要. 文学部 (64), 19-30, 2014