ただいま歌舞伎座で上演中の十二月大歌舞伎!
夜の部「神霊矢口渡」はここ数年にわかに上演頻度の高くなっている演目であるため、
この機会に少しばかりお話してみます。
芝居見物のお役に立てればうれしく思います!
新田義興の放つ一矢で!
神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)は、
1770年(明和7年)に江戸の外記座にて初演された人形浄瑠璃の作品。
約四半世紀後の1794年(寛政6年)にて歌舞伎として上演され、
作者は福内鬼外こと平賀源内で、吉田冠子、玉泉堂、吉田二一が補助として入っていました。
めずらしい江戸生まれの義太夫狂言のなかでも傑作として知られるもので、
軍記物語「太平記」の新田義貞一族にまつわるお話であります。
今月は全五段のうち「頓兵衛住家の場」が上演されていますので、
この場面のあらすじをお話しております。
足利尊氏討伐を目指す立派な武将として活躍していた義貞の子・新田義興が、
多摩川の矢口の渡しにおいて家臣に謀殺されてしまい、
落ち武者となってしまった弟の新田義峯が
新田家再興のため苦心している…というのがこの場面の前提であります。
⑤ではお舟が義峯を訴人しようとする六蔵を頓兵衛のもとへやり、
日も暮れとうとう頓兵衛がこの家に戻ってきてしまうというところまでお話いたしました。
夜になり、ひっそりと戻ってきた頓兵衛…
わが家にあの新田義峯がのこのこと来ているというのですから大チャンス、
仕留めてやろうと狙っています。
頓兵衛は義峯がいるお座敷の下から、ブスリ!と刀で一刺し。
確かに人を刺した感触がありましたが、なんと刺したのは娘であるお舟だったのです!
実はこれには、義峯のある駆け引きのような約束があったのでした。
お舟が兄・新田義興の仇である頓兵衛の娘であることを知った義峯は、
「頓兵衛とは違って私と新田家に尽くす心を表すのであれば、
来世こそは夫婦になろう…」などとお舟に言ったのであります。
義峯のそんな約束も嘘か誠かわかりません。
しかしこれを信じたお舟さんは、義峯たちを落ち延びさせて、
好きな人の身替りとなりこの座敷に潜んでいたのであります。
なんと健気なことでありましょうか…
しかし娘のお舟を刺したと知った頓兵衛は
お舟の言葉には全く耳を貸すことなく、義峯の後を追っていきます!
息も絶え絶えになったお舟さんは、もはやこれしかないと、
落人を生け捕った際の合図である太鼓を懸命に打ち鳴らすのであります…!
六蔵に止められても刀で立ち向かい、なおも太鼓を打ち鳴らします!
娘を殺しても手柄を得ようとする強欲な頓兵衛は、船で義峯を追おうとするも、
どこからともなく飛んできた一本の矢により絶命!
これは頓兵衛が殺した新田義興が、霊となって念を放ち打ち込んだ矢だったのであります…
ここで、神霊矢口渡 頓兵衛住家の場は幕となります。
気絶する、霊の力で矢が飛んでくる、などオカルト的な展開が多数見られる異色作ですが、
これらは実際の伝説がもとになっているものなのだそうです。
義太夫狂言に出てくる頓兵衛のような人物はたいがい、
芝居の最後には善なる心に戻る「モドリ」と呼ばれる手法が使われるのですが、
頓兵衛は本当に悪者のまま終わっていきます。
そんなことからもなんとも後味の悪いお話だなあと思われますが、
平賀源内の一筋縄ではいかないセンスも感じられます!
参考文献:日本大百科全書/新版歌舞伎事典
平賀源内『神霊矢口渡』についてー福内鬼外論序説ー福田 安典
日本女子大学紀要. 文学部 (64), 19-30, 2014