東京ではいまだ警戒の続く日々が続いておりますが少しでも気を晴らそうと考え、Googleストリートビューで芝居の舞台となった場所とその周辺を、自宅でだらだらとしながら訪ねてみようかと思います。
今日は歌舞伎舞踊の名作「京鹿子娘道成寺」の下敷きとなっている安珍清姫伝説の舞台・道成寺周辺へ行ってみるつもりです。
というのも先日はてなブログさまより「1年前の記事をふりかえりませんか…」とのメールが届き、昨年の今頃は菊之助さんが道成寺をお勤めになっていたのだということが思い出されたからであります。
ああ…菊之助さんの白拍子花子、本当にお美しかったですね…思い出しただけでもうっとりしてしまいます。あの道成寺のルーツとなったのは一体どういった場所なのでしょうか。
事情があり画像そのものを貼ることができず地図埋め込みとなりますが、何卒ご了承くださいませ。
前回:菅原伝授手習鑑 道明寺編
京鹿子娘道成寺とは
「京鹿子娘道成寺」は歌舞伎の女形舞踊の最高峰とされるもの。
豪華絢爛に、ときに可憐に、さまざまな恋模様が描き出され、めくるめく美しさのオンパレードで夢心地のひとときを過ごす…という演目であります。
この演目の下敷きになっているのが、紀州の道成寺に伝わる安珍清姫伝説。
清姫という娘が旅の僧・安珍に惚れてしまったのだが逃げられ、怒り狂って超高速移動をするうちに蛇体となってしまい、安珍が道成寺の鐘に逃げ込んだところを鐘ごと焼いた…というしゃれにならぬ恐ろしさのお話です。
さぞや殺伐としていたのではないかと想像されますが、現在の道成寺はどうなのでしょうか。
さっそく行ってみましょう
紀州の道成寺は現在の和歌山県、このあたりのようです。
境内までの道のりには「レストランあんちん」
このほのぼのとしたキャラクターは安珍なのだと思われますが、とても清姫を怒り狂わせるとは思えぬ味わいがおもしろいですね。
正面の石段までたどり着きました。
京鹿子娘道成寺の冒頭、能の雰囲気の厳かな舞の部分で、白拍子花子がつま先を左右にちょんちょんと動かしてそっとおろす「乱拍子」と呼ばれる部分があります。
あの動きは、まさにこの石段を踏みしめて上り安珍を探すさまを表現しているらしいのですが、こうしてそそり立つような石段を実際に見てみますと清姫の執念の強さを実感、緊張感が伝わってくるように思います。
石段を登って仁王門です。鐘があったと伝わる場所がどうなっているのか、見るのが楽しみです。
その前にまずは、バーチャルお参りを…
境内右手には「安珍塚」があります。
さて、鐘の跡はこの三重塔の近くのようですが…
こ、ここですね…!
この「跡形もない感じ」が保たれている点に畏れを感じます。
そしてなんと「中村富十郎」の文字を発見しました!!
調べてみますとどうやら初演の初代中村富十郎を顕彰する石碑のようです。
恐ろしい伝説をあんなにも美しい世界へと昇華させた功績を思いますとつくづく美は偉大なりと思います。
地図内にあった「道成寺縁起堂」も気になったので行ってみますと、なんと中がストリートビューで公開されていました。
うわー!これはお宝の山の予感ですね!!素晴らしい空間です!
ストリートビューとはいえ掲載がはばかられたので控えましたが、ほかにも素晴らしい道成寺美術や写真の数々が並んでいますので、気になる方はぜひチェックなさってみてくださいませ。
いやはや厳粛なムードと歌舞伎舞踊の華やかさが同居するような何ともいえぬ魅力のあるお寺で、ここはぜひとも実際にこの足で参拝したいと思いました!!
お寺の近くには清姫の蛇塚があるようなのですが、ストリートビュー上で特定することができなかったことが残念です。紀州を旅した暁にはぜひ蛇塚にも足を運び、手を合わせたいと思います。
今年は中止となっていますが、地域ではまさに安珍清姫伝説の大蛇が安珍を追いかけるシーンを再現する「ジャンジャカ踊り」なる行事が毎年行われているそうです。
上の記事の動画を拝見しまして、迫力に驚いてしまいました。赤いスモークのようなものが口から出ています。
余談ですが、東京に「道成寺」なる料亭を発見しました。向島の芸者さんとお座敷遊びができるお店のようですよ。下戸の私にはあまりにも敷居が高すぎますが、お好きな方には楽しそうです。