昨今、部屋に散り散りになっていた本をジャンルごとにまとめる作業をしているなかで、「役者絵と描かれている演目、そして役者本人について調べて情報をまとめたい」という思いが抑えられなくなりました。途方に暮れてしまいそうな作業で遠ざけていたのですが、やるなら今しかなさそうです。
個人的な趣味で、備忘録がてらまとめておきます。随時情報を書き加えるつもりです。ご興味お持ちでしたらお役立ていただければ嬉しく思います。
前回:東洲斎写楽「初代市川男女蔵の奴」
東洲斎写楽「二代目市川門之助の伊達の与作」
出典:大写楽展図録 ハーバード大学美術館
上演・・・寛政六年(1794)五月五日初日 河原崎座
演目・・・恋女房染分手綱
役名・・・伊達の与作
役者・・・二代目市川門之助
内容・場面
恋女房染分手綱
いわゆる「重の井子別れ」に至るまでの前半部分
由留木家の家臣・伊達の与作は、①自分に仕える奴が悪党から若殿の大事の用金を奪われた、さらに②腰元・重の井との不義が発覚してしまった、というどうにも弁解できない状況に陥り、ついに由留木家を追放されてしまった。
二代目市川門之助
生没年:寛保3年(1743)~寛政6年(1794)10月19日 享年52歳
名乗った期間:明和7年(1770)11月~寛政6年(1794)11月
屋号:滝野屋
名乗りの経歴:滝中鶴蔵→二代目滝中秀松→二代目市川弁蔵→二代目市川門之助
俳名:新車
通称:滝野屋の藤十郎
都八重太夫(重岡重兵衛)の子
四代目市川團十郎の門弟 のち五代目市川團十郎の門弟
まとめ
この前にあたる部分に出演し、前回まとめた初代市川男女蔵のお父さんです。
この次の場面に登場する蝦蔵(五代目團十郎)の門弟ですから、息子とともに脇を固めていたのだと思われます。そういわれてみればお顔立ちがかなり似ていますね!
しかしながら醸し出している雰囲気の良さと色っぽさは格段に違うように思います。
伊達の与作の役は、腰元の重の井と禁断の恋愛関係に陥るくらいですから、憂いのあるやわらかな色男でなければなりません。その点二代目門之助は肩を落とした頼りなげな手つきといい、みだれた鬢といい、なんとも良い風情です。
それもそのはず二代目門之助には、若衆形の随一とされた初代門之助の家に養子に入って市川弁蔵と名乗り、「若手四天王」の一人といわれた人気若手スターの時代があったようです。
また気になるのが「滝野屋の藤十郎」という通称です。
江戸に生まれて大坂で修行したそうですから、もしこの「藤十郎」が和事の創始・初代坂田藤十郎に関連するものだったとすると、やわらかな二枚目の役に長けた役者としてかなりの名声を受けていたことが伺えます。
息子の初代男女蔵はどうやらその芸風を受け継いだというわけでもなかったようで立役として活躍、その子が三代目市川門之助を襲名、立女形として活躍したようです。
参考文献:歌舞伎俳優名跡便覧 第五次修訂版/増補版歌舞伎手帖/写楽展/日本大百科全書