昨今、部屋に散り散りになっていた本をジャンルごとにまとめる作業をしているなかで、「役者絵と描かれている演目、そして役者本人について調べて情報をまとめたい」という思いが抑えられなくなりました。途方に暮れてしまいそうな作業で遠ざけていたのですが、やるなら今しかなさそうです。
個人的な趣味で、備忘録がてらまとめておきます。随時情報を書き加えるつもりです。ご興味お持ちでしたらお役立ていただければ嬉しく思います。
前回: 東洲斎写楽「市川鰕蔵の竹村定之進」
東洲斎写楽「三代目坂東彦三郎の鷺坂左内」
出典:メトロポリタン美術館 パブリックドメイン
上演・・・寛政六年(1794)五月五日初日 河原崎座
演目・・・恋女房染分手綱
役名・・・鷺坂左内
役者・・・三代目坂東彦三郎
内容・場面
恋女房染分手綱
いわゆる「重の井子別れ」に至るまでの中盤部分
由留木家の家臣・伊達の与作は、奴の一平が悪党に大切な用金を盗まれる、腰元の重の井との不義が発覚するなど窮地に追い込まれ、由留木家を追放されてしまう。
用金を盗んだ悪党は、同じく由留木家の家臣・鷲塚八平次に雇われた者であった。
鷲塚八平次の悪事は由留木家の執権・鷺坂左内の追求によって明らかになる。
三代目坂東彦三郎
生没年:宝暦4年(1754)~文政11年(1828)2月18日 享年75歳
名乗った期間:明和7年(1770)11月~文化10年(1813)11月
屋号:萬屋・伊勢屋・音羽屋
名乗りの経歴:市村吉五郎→三代目坂東彦三郎→半草庵楽善(隠居名)→三代目坂東薪水(俳名による)
当時の俳名:薪水・新水・薪翠・新水
八代目市村羽左衛門の五男
初代尾上菊五郎の養子・女婿
まとめ
鷺坂左内は、腰元の重の井との不義が発覚してしまった由留木家の家臣・伊達の与作をなんとかかばおうとするカッコいい捌き役です。
この絵に描かれているのは、鷺坂左内が暗闇の庭で重の井が勘当されてしまった与作に駆け寄るところを見つける…という場面。手燭を手にしているのはそのためであります。
捌き役の左内は複雑な心情や思慮分別を表現する大きな役どころで、大星由良之助などを得意とした三代目彦三郎にぴったりのものだったようです。
三代目彦三郎は坂彦・向島の親分などの通称で親しまれていた役者で、和実や所作事などを得意としました。菅原伝授手習鑑の菅丞相が当たり役であったそうですから、風格を備えた素晴らしい役者であったのだろうなと想像されます。
文化8年(1811)に江戸で、2年後の文化10年に大坂・京都で一世一代を演じて芝居を引退した三代目彦三郎は、なんと京都で剃髪してしまい、そのまま江戸で「半草庵楽善」として隠居生活を送ったそうであります。その隠居生活は1年程で幕となり、江戸時代の方にしては長生きの75歳で生涯を閉じています。
そんな一生を送った三代目彦三郎が、舞台の上の存在感はもちろん体力的にもノリノリであったと思われる40代の時の芝居がこの一枚です。左内の葛藤がにじんだ味わい深いうりざね顔、そして所作の美しさ…三代目彦三郎の魅力が伺い知れますね!
参考文献:歌舞伎俳優名跡便覧 第五次修訂版/増補版歌舞伎手帖/写楽展/日本大百科全書