昨今、部屋に散り散りになっていた本をジャンルごとにまとめる作業をしているなかで、「役者絵と描かれている演目、そして役者本人について調べて情報をまとめたい」という思いが抑えられなくなりました。途方に暮れてしまいそうな作業で遠ざけていたのですが、やるなら今しかなさそうです。
個人的な趣味で、備忘録がてらまとめておきます。随時情報を書き加えるつもりです。ご興味お持ちでしたらお役立ていただければ嬉しく思います。
前回: 東洲斎写楽「二代目岩井喜代太郎の左内女房藤浪と初代坂東善次の官太夫女房小笹」
東洲斎写楽「二世小佐川常世」
出典:別冊太陽 写楽
上演・・・寛政六年(1794)五月五日初日 河原崎座
演目・・・恋女房染分手綱
役名・・・一平姉おさん か(特定できないor定之進妻桜木とする説もある)
役者・・・二代目小佐川常世
内容・場面
恋女房染分手綱
いわゆる「重の井子別れ」に至るまでの一場面。
大事な用金を江戸兵衛に奪われるという大失態を犯してしまった由留木家の家臣 伊達の与作の若党・一平は馬子に成り下がり「八蔵」と名乗っていた。由留木家の腰元・重の井と不義密通を犯し勘当となった伊達の与作もまた馬子に身をやつし、盗まれた用金の工面に苦心。
重の井と与作の間に生まれた子・世之助は、一平の世話になり馬子となって「自然生の三吉」と呼ばれていた。
二代目小佐川常世
生没年:宝暦3年(1753)~文化5年(1808)8月16日 享年56歳
名乗った期間:明和5年(1768)11月~文化5年(1808)8月
屋号:米屋/綿屋
名乗りの経歴:初代小佐川七蔵→二代目小佐川常世
当時の俳名:巨撰/巨船
初代小佐川常代の門弟
宝暦13年のころ色子から役者へ
まとめ
二代目小佐川常世は若女形の名手として知られ、愁嘆場を得意としました。四代目岩井半四郎や三代目瀬川菊之丞といった当時の女形スターに次ぐ人気役者であった人物であります。現在の歌舞伎界には残っていない名跡ですが、明治時代の五代目までは存在していたことが明らかになっています。
この絵に描かれている役どころは「特定できない」「定之進妻桜木」とする説もあります。馬子八蔵の姉おさんにしては気位高く、扮装も違うという点からです。
当時の上演演目の絵本番付でのおさんは在所の嬶の扮装、しかし演目が決まって最初に出される辻番付では貧しい扮装ながら打掛を着ている様子が描かれていました。このことから写楽は上演前に出されている情報を基にしてイメージで描いたのではないかと現在では考えられているようです。
当時の女形スター…と言われますと女性にも見紛うような美しさを想像しますが、この絵での二代目小佐川常世は目がくぼみ、眉は太く、結構男性らしさが際立っています。化粧でおちょぼ口に見せていたはずの口元もわざわざ薄墨で実際の口の大きさが表現されているという念の入れようです。こうしたタッチに「あまりに真を描く」写楽らしさが表れているとして評価の高い一枚です。
参考文献:歌舞伎俳優名跡便覧 第五次修訂版/増補版歌舞伎手帖/大写楽展/日本大百科全書/別冊太陽 写楽