おうちで過ごす時間が増えた影響により「役者絵と描かれている演目、そして役者本人について調べて情報をまとめたい」という思いが抑えられなくなり、少しづつ続けております。
個人的な趣味ですが、備忘録がてらまとめておきます。随時情報を書き加えるつもりです。ご興味お持ちでしたらお役立ていただければ嬉しく思います。
前回: 東洲斎写楽「四代目岩井半四郎の重の井」
東洲斎写楽「二代目沢村淀五郎の川連法眼と初代坂東善次の鬼佐渡坊」
出典:メトロポリタン美術館
上演・・・寛政六年(1794)五月五日初日 河原崎座
演目・・・義経千本桜
役名・・・川連法眼(右)鬼佐渡坊(左)
役者・・・二代目沢村淀五郎(右)初代坂東善次(左)
内容・場面
義経千本桜
現代の義経千本桜四段目でお馴染みの狐忠信は描かれていませんが、これも四段目です。義経をかくまう川連法眼と、義経の命を狙う鬼佐渡坊なる人物が争う場面です。
二代目沢村淀五郎(寛政6年時点の)
生没年:?
名乗った期間:明和3年(1766)11月~寛政13年(1801)頃
屋号:大竹屋
名乗りの経歴:沢村菊次(菊二・菊治)→沢村淀五郎
当時の俳名:連車・漣車
二代目沢村音右衛門の子
二代目沢村宗十郎の門弟
初代坂東善次
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まとめ
河原崎座で上演されていたはずの「義経千本桜」で、写楽が描いたたった1枚の作品です。名場面がたくさんあり人気者もたくさん出演したのではないかと思われる義経千本桜で、よりによってなぜこの場面を描いたのであろうかと謎に思います。
浅野秀剛氏編の別冊太陽写楽では、初代坂東善次はのちに道化形に転向する役者であり愛嬌のある敵役としてファンが多かったのではないかと推察されています。実際、初代坂東善次は写楽第一期の大首絵に二図描かれているという実績があり、下位の役者でありながら絵が売れると見込まれていたのかもしれません。
しかしながら手持ち資料の歌舞伎俳優名跡便覧のなかに初代坂東善次の活躍を発見することができておらず、どう考察すればよいか手詰まりの状態です。
そして、二代目沢村淀五郎の川連法眼が必要以上に怖いです。二代目沢村淀五郎は実悪の役者であったそうで、迫力を隠しきれなかったのでしょうか。川連法眼として成功しているのかというとわかりません。
おもしろい絵ではありますが、つくづく写楽はなぜこの場面を描いたのだろうなと思ってしまいます…謎です。新しい資料を発見したらば追記したいと思います。
参考文献:歌舞伎俳優名跡便覧 第五次修訂版/増補版歌舞伎手帖/大写楽展/日本大百科全書/別冊太陽 写楽