歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

広告

やさしい霊験亀山鉾 その五 あらすじ 序幕①甲州にて 藤田水右衛門の返り討ち

ただいま歌舞伎座で上演中の二月大歌舞伎

第三部通し狂言 霊験亀山鉾は、敵役の返り討ちを描いた鶴屋南北の名作。今回は片岡仁左衛門一世一代にて相勤め申し候と銘打たれての上演です。これはつまり、仁左衛門さんがこの演目をお勤めになるのはこれが最後であるという表明であります。

鶴屋南北作品は、冷酷で非道な登場人物や残酷な殺しの場面が大変魅力的なことで知られています。南北作品における仁左衛門さんの悪役は格別で、よく言われる「悪の華」という表現そのものです。

せっかくの機会ですので、霊験亀山鉾についてお話を少しずつ加えていきたいと思います。芝居見物や、配信、放送など何らかのお役に立つことができれば幸いです。

過去のお話はこちらにまとめてあります。古いもので内容が拙いのですが、よろしければご参照ください。

www.suehiroya-suehiro.com

そもそも霊験亀山鉾とは

霊験亀山鉾(れいげんかめやまほこ)は、大南北と呼ばれた江戸の名作者・鶴屋南北の作品。1822年8月に江戸は河原崎座で初演されました。

元禄年間に実際に起こった事件「亀山の仇討ち」を題材として、敵方による返り討ちという珍しい趣向で展開する物語です。敵の悪人が善なる人々をどんどん追い込み、次々と命を奪っていくという衝撃的な場面が続きます。そこへこちらも実際の殺人事件である「おつま八郎兵衛」の事件が絡んできて、物語がいっそう複雑に、おもしろく展開していきます。

歌川豊国 東海道五十三次之内 亀山 藤川水右衛門(部分)/国立国会図書館デジタルコレクション

序幕①甲州にて 藤田水右衛門の返り討ち

霊験亀山鉾の原型は非常に長い物語ですので、私がお話するあらすじは仁左衛門さんの上演形式に則っています。補綴もいろいろあり、様々な条件で内容が前後したり、変わったりすることがあります。その点は何卒ご了承ください。

謎の理屈が展開し、多くの人物が複雑に絡み合うので、一見するとややこしく感じられます。しかしひとまず実際の舞台は「石井 対 藤田」にざっくり分けて捉えるだけでも内容を楽しむことができると思います。

まずは下記に全体の流れをご紹介いたしました、追って詳細をお話してまいります。

www.suehiroya-suehiro.com

 

まずは序幕 第一場 甲州石和宿棒鼻の場・第二場 石和河原仇討の場についてお話いたします。

舞台は甲州石和宿、現在でいうところの山梨県笛吹市あたり。のどかな里なのですが、これより敵討ちが行われるぞということで、地域の人々がざわざわとしています。

敵討ちの次第というのは、遠州浜名の石井兵介というさむらいが、兄・石井右内を殺した仇として藤田水右衛門を討つというもの。

 

藤田水右衛門は、かつて石井右内を闇討ちにし、石井家が所持する神陰流秘伝の書「鵜の丸の一巻」を奪うという悪事を働いて逃げていたのですが、ほうぼう捜し歩いた石井兵介によって甲州にて発見されたのです。石井兵介は敵討の届け出を出していたので、晴れて役人の立ち合いによる正式な敵討ちが執り行われることになりました。

江戸時代においては、公に「仇討ち」が認められていました。親兄弟を何者かに殺された場合、犯人を特定し正式な手続き・段取りを踏んで前もって役所へ届け出れば、犯人を殺害してもよいというシステムです。すごい時代ですよね。

 

そんなことになってしまったので、藤田水右衛門はせっかく奪った「鵜の丸の一巻」をひとまずお父さんの藤田卜庵(ぼくあん)に預けようと、下部の伴介に託すことにしたのでした。

旅先にて息子・水右衛門の一大事の噂を聞いた卜庵は慌てて甲州へ駆けつけ、伴介と合流。鵜戸権現の白蛇が守っている「鵜の丸の一巻」を預かります。敵討ちで水右衛門が殺されてしまうのではないかと心配する卜庵でしたが、伴介は全く心配していないようす。

 

なんでも、敵討に立ち会う役人はかねてより卜庵と通じている掛塚官兵衛であり、藤田家秘伝の毒薬も取り寄せてあるのだそうです。それを聞いて卜庵も安堵します。

つまりは、完全に藤田サイドが悪いにもかかわらず「役人を味方につけ、敵討ちを仕掛けてきた石井兵介に毒を盛る」というルール違反は当たり前という倫理観の人々なのですね。この構造はずっと続きます。

 

続く甲州石和河原仇討の場。いよいよ石井兵介から藤田水右衛門への敵討ちが行われます。背景には幔幕、地面にはむしろが敷かれ、掛塚官兵衛をはじめとする役人たちがずらりと並びます。ものものしい雰囲気です。

時間になり、掛塚官兵衛によって石井兵介藤田水右衛門が呼び出されました。石井兵介のもとには若党・轟金六も付き添っています。いよいよ敵討ちです。

しかしこの期に及んで掛塚官兵衛が「藤田水右衛門が罪を認めていないので中止しよう」などと言い出すので、石井兵介から改めて敵討の次第が語られます。

 

なんでも、藤田水右衛門はあるとき石井右内に剣の立ち合いを頼みに来たのですが、右内から散々に負かされてしまったのだそうです。自分の未熟さを顧みるどころか、負かされたことを恨みに思った藤田水右衛門は、卑怯にも闇討ちを行い、右内が持っていた「鵜の丸の一巻」まで奪って逃げたとのこと。

命果てた右内が握りしめていた遺留品が、藤田の紋の入った黒羽二重の片袖。石井兵介轟金六はこれこそ藤田水右衛門のものに違いないと主張します。

 

しかしながら、一向に自分の罪を認めない藤田水右衛門掛塚官兵衛と目くばせをすると、「身に覚えなど全くないが、まあそんなに言うなら真剣勝負を受けてやろう」となにやら妙に余裕なようすで敵討ちを受けることにします。

水杯を交わし、斬り合いになる両人。しかし石井兵介がにわかに苦しみ、血を吐いて悶えだしました。ここに藤田水右衛門が斬りかかり、石井兵介は深手を負ってしまいます。

 

「さては毒殺…!」といきりたつ轟金六。助太刀を願い出ますが、これは聞き入れられません。

艱難辛苦の末にようやく敵討ちまでこぎつけたのに、卑怯にも毒を盛られるとは、あまりにも無念です。毒と無念にぐぬぬと苦しむ兵介は、右内の養子である石井源之丞に「石井の家名再興」「鵜の丸の一巻奪還」を託すよう金六に伝えます。

そして無情にも、仇の藤田水右衛門からとどめをさされてしまうのでした…

 

このあたりで次回に続きます。

 

参考文献:新版歌舞伎事典/かぶき手帖/日本大百科全書/平成二十九年十月国立劇場歌舞伎公演上演台本霊験亀山鉾

Copyright © 2013 SuehiroYoshikawa  All Rights Reserved.