今月国立劇場で上演されている令和5年10月歌舞伎公演『通し狂言 妹背山婦女庭訓<第二部>』
10月をもって閉場が決まっている第一期国立劇場、最後の歌舞伎公演です。半世紀以上の歴史を持つ国立劇場最後の演目として「妹背山婦女庭訓」が選ばれ、先月に引き続き通し狂言として上演されています。
今月上演されている第二部の中でも特に有名なのが「三笠山御殿の場」です。先日、こちらのブログで過去にお話したものをまとめました。拙いものばかりのうえ、あらすじについてお話しておりませんでしたので、今回の上演機会にお話したいと思います。
ざっくりとしたあらすじ②
妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)は、1771(明和8)年の1月に大坂竹本座で人形浄瑠璃として上演された演目です。その夏の8月に歌舞伎として上演されました。義太夫節という音楽に乗せて物語が語られる、義太夫狂言というジャンルの演目です。
物語全体は非常に長く壮大ですが、今月の第二部では酒屋の娘お三輪を中心とした後半エピソードが上演されています。なかでも名場面として知られる「三笠山御殿の場」は、全五段のうち四段目にあたります。義太夫狂言において四段目は重要なシーンが据えられていることが多いです。
国立国会図書館デジタルコレクション 金輪五郎今国・杉酒屋娘お三輪 豊国
①では、前提情報についてお話いたしました。続いて、舞台で起こることを中心にお話していきたいと思います。話の内容が前後したり、さまざまな事情で細部が変化する場合もありますが、何卒ご容赦ください。
「三笠山御殿の場」の舞台は、自称・帝である蘇我入鹿が三笠山に建設した見事な御殿。現在でいうところの奈良県のあたりです。
蘇我入鹿が家臣の宮越玄蕃(みやこしげんば)と荒巻弥藤次(あらまきやとうじ)を左右に従え、権力を振りかざしてギラギラと贅沢を極めている…というシーンからお芝居が始まります。
中央に鎮座している蘇我入鹿は、藍色の隈取と「王子」と呼ばれるもさもさのロングヘア―という出で立ちです。これは、天下をひっくり返そうとするとんでもない悪人であるということを表す記号ですので、覚えておくと便利です。
入鹿たちがワハハワハハと楽しんでいるところへ、俺はナニワの漁師だと名乗る謎の男・鱶七(ふかしち)が尋ねてきます。鱶七は、御殿には似つかわしくない粗暴な雰囲気ですが、なんと藤原鎌足からの使者としてやってきたのだといいます。さらに、敵対のメッセージを届けに乱入して来たのではなく、もてなしのお酒と鎌足からの大切な手紙を届けに来たのだそうです。
入鹿は大悪人ですので、こんなことを素直に信じるはずがありません。武器を隠しているのだろう、毒が入っているのだろうと鱶七を疑います。鱶七はこの疑いを晴らすため、持参したお酒をぐびぐびと飲み干すと、鎌足からの手紙を渡しました。
読み上げられた鎌足からの手紙の大意は「帝・入鹿さまにお仕えしたいです」という内容。しかしながら、文中で使われていたあるキーワードが入鹿の逆鱗に触れます。
それは、中国前漢の文人・東方朔(とうぼうさく)にまつわるものでした。
東方朔は、三千年に一度実をつける西王母の桃を盗んで食べ、寿命を延ばしたという伝説がある人物です。一度ばかりか、三度盗んで九千年も延命したといわれ、能の題材にもなっています。
前漢時代から九千年も延命しているのなら、2023年の今も普通に生きているわけで、街ゆくご老人の中に東方朔が紛れていたら…という妄想も楽しめますね。
手紙の中でそんな東方朔について言及されていることを聞いた入鹿は、「私を大盗人に例えるのか!!!」と大激怒。鱶七に向かって物を投げつけます。どう考えても言いがかりですが、こういった論理でキレる人というのはたまにいて、周囲の人を怯えさせてコントロールしようとする危険人物であったりしますね。
そんな天下の大悪人から激怒された鱶七は、「そう怒るのは身に覚えがあるからでしょうなあ!」と驚くべきメンタルの強さを発揮。こいつはとんでもない奴だと捕えられ、人質として拘束される運びとなってしまいます。
御殿には鱶七の命を奪おうとする暗殺者が仕組まれていますが、それもなんのその。鱶七は攻撃を見事にかわし、御殿の奥へと連れて行かれるのでした。
では、このあたりで次回に続きます。
参考文献:床本集、新版歌舞伎事典