ただいま歌舞伎座で上演中の
芸術祭十月大歌舞伎!
今月は見どころたっぷりの演目が揃っておりどこからお話すればよいやらというところです。
やはり昼の部「三人吉三」は名作中の名作ですのでこの機会にひとつお話しておきたいと思います。
これまでにこまごまとお話したもののまとめはこちらにございます。
もしよろしければご一読ください!
あのとき、犬を斬り殺したばっかりに…
三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)は、
1860年(安政7年)の1月に江戸は市村座にて初演されたお芝居であります。
和尚吉三・お坊吉三・お嬢吉三という三人の吉三郎が
とある因縁あって出会うことから付けられた題名で、
「三人吉三(さんにんきちさ)」という通称で知られております。
江戸の市井の人々の暮らしの中にあるドラマを描いた
世話物というジャンルを代表する演目のひとつです。
今月上演されているわずか30分ほどの幕「大川端庚申塚の場」はいわばこの芝居の名場面。
といってもダイジェストではないため、じつは長く複雑に入り組んだ物語の発端にすぎない部分なのであります。
この後のことがわからなくともあの場面だけで歌舞伎らしい満足感は得られるのですが、
客席で拝見しておりますと周りの方々から、
この場面の続きが幕間を挟んだ次の幕なのかな?というお話も聞こえてきます。
せっかくですのでこの機会に非常にざっくりとではありますが物語全体の流れをお話してみたいと思います!
いろいろと前後したりはしょったりしてしまいますが、お手柔らかにお願いいたします。
大川端庚申塚の場の部分のあらすじ
④では、①でめぐりあっていたおとせさんと十三郎くんが
土左衛門伝吉さんのおうちで再会し、恋仲になるところまでお話いたしました。
この場面には重要なまだ続きがあります。
かわいい息子と再会できたはずの八百屋九兵衛さんから、重要な身の上話が始まるのです。
実は八百屋九兵衛さんと十三郎くんは、血の繋がった親子ではありません。
八百屋九兵衛さんにはかつて実の息子がいたのですが「お七」と名前を付けて女の子の姿で育てていました。
しかし悲しいことに5歳の時はぐれてしまい、探して歩く中で拾った子が十三郎くんだったのです。
かんのよい方はお気づきかもしれませんが、このお七こそがあのお嬢吉三であります!
巡り巡って実の親子の縁が本人たちの知らないうちにぐぐっと近づいています。
さらに衝撃的な巡りあわせは、伝吉さんの身の上にも起こっていました…。
伝吉さんはこのとき、因果のあまりの恐ろしさに震えていたのです。
実は、伝吉さんの子供は和尚吉三とおとせさん兄妹の二人ではありませんでした。
おとせさんは男女の双子として生まれたのですが、時代が時代ですから「畜生腹」といって忌み嫌い、
女は後でカネになるだろうという考えでおとせさんだけを手元に残して
男の子の方を捨ててしまいました。
八百屋九兵衛さんが拾ったという子どもの特徴をよく聞けば、
どう考えても、今おとせと恋仲になった十三郎さんこそが捨てた双子の片割れなのです…。
血を分けた兄弟の間で関係するということは、この時代においてもタブーです。
「畜生道に堕ちる」といって大変に忌み嫌われた行いでありました。
これはまさに自分が、かつて短刀を盗んだ際に孕んだ雌犬を斬り殺した呪いなのだ…!
と信じ込んだ伝吉さんは、因果の恐ろしさに震えていたのでした。
しかし、因果の恐ろしさというのはこれだけには留まりませんでした。
伝吉さんが犬を斬り殺した時に盗んだ短刀というのは、
なんとお坊吉三の家に伝わる将軍家預かりの名刀・庚申丸(こうしんまる)。
この刀を盗まれたせいで、お坊吉三の父は切腹、お家は断絶となっていたのです。
ここはさらに複雑になり収集がつかなくなりますので割愛しますが、
大川端庚申塚の場で和尚吉三が所持することになったあの百両のお金もまた、
和尚吉三の手を離れていろいろなところを巡り巡っており、
そのお金をめぐって、なんとお坊吉三と伝吉さんが争うことになり、
お坊吉三は兄貴分の和尚吉三の父親とは知らずに伝吉さんを切り殺してしまうのでした…
大変長くなりましたが、もう少しで終わりますので!
参考文献:新版歌舞伎事典