先月上演されていた二月大歌舞伎!
あらすじのお話に回数を多く使いお話しきれなかった事柄がたくさんありますので、歌舞伎座の中止期間中を利用して少しずつお話してみたいと思います。
先月の歌舞伎座をご覧になった方にとってもそうでない方にとっても、なんらかのお役に立てればうれしく思います。
近松門左衛門の描く菅原道真
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)は、1746年8月に人形浄瑠璃として初演された演目。
大ヒットを受けて翌月に歌舞伎化され、現在に至るまで繰り返し繰り返し上演されている人気の作品であります。
物語のテーマとなっているのはさまざまな形での「親子の別れ」
現在も天神さまとして信仰されている菅原道真公(物語では菅丞相)の太宰府左遷を軸として、
菅丞相に大恩を受けた三つ子の松王丸・桜丸・梅王丸それぞれの思いを絡めて描き出されます。
3月に入ってから、現在は上演されなくなっているその恐ろしい結末と基となった伝説についてお話しておりました。
そもそもこの伝説の部分から物語が発展していったのではないかなあ…と思われましたので先行作について調べ、謡曲「雷電」についてまずご紹介したところです。
「雷電」で描かれている菅原道真は、鬼の形相で火を発生させたり雷を落としまくるという恐ろしさはあるものの、天神の神号を与えられたことに救いを見出すという結末で、人々からの尊敬や哀れみの思いも感じられる存在でありました。
先行作にはもうひとつ、菅原伝授手習鑑の直接の先行作とされるものがありますのでそちらも見てまいりましょう。
その作品というのはあの近松門左衛門の「天神記」なる全五段の浄瑠璃であります。
菅原伝授手習鑑が初演される約30年前の1713年(正徳3)2月に大坂は竹本座にて初演されたものです。梅の季節に初演されていたのですね。
「天神記」は大ヒットしてすぐに歌舞伎に移行され、人形浄瑠璃の歌舞伎化の走りとなりました。そのおもしろさのほどがうかがい知れます。
「天神記」のおもしろさのポイントとなっているのは、菅原道真伝説からとられたネタ数の多さ。
前回にもご紹介した「雷電」などでも描かれる数々の菅原道真伝説は、室町時代の「菅家瑞応録(かんけずいおうろく)」などの書物から収録されているのですが、「天神記」はそうした伝説を最も多く取り入れた作品とされています。
たとえば…
・射芸伝説:若き日の道真は単なるガリ勉ではなく弓の腕も百発百中。
・渡唐天神伝説:実は道真は唐に渡り、中国の高名な禅僧の元で修行していた。
・飛梅伝説:道真が大切にしていた都の梅が一夜にして太宰府まで飛んできた。
・綱敷天神:太宰府に渡る船が暴風雨に遭い、椎田の浜に停泊。突然のことに土地の漁師たちはおもてなしもできず、道真を綱の上に座らせた。
・天拝山祈願伝説:道真は無実の罪を訴えるため、天拝山の頂上まで幟来る日も来る日も拝み続けた。
・柘榴伝説:道真の霊が怒って柘榴を噛み砕くと、炎が出た。
このようなもの。
こんなにもたくさんの伝説を一つの作品の中におもしろく盛り込んでしまうとは、さすが近松、天才であるなあ…とうなるネタ数であります。
さらには「菅原伝授手習鑑」のキーパーソンが登場することが「天神記」最大の特徴でありますので、その内容については次回お話してみたいと思います。
参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎オン・ステージ 菅原伝授手習鑑/日本大百科全書(ニッポニカ)/天神伝説と演劇 松崎仁