ただいま歌舞伎座で上演中の六月大歌舞伎!
第二部「桜姫東文章 下の巻」は、四月に上演された「桜姫東文章 上の巻」の完結編。桜姫東文章は、孝夫時代の仁左衛門さんと玉三郎さんが孝玉コンビとして熱狂を巻き起こした伝説の舞台で、お二人による上演は1985年いらい実に36年ぶり。チケットも入手困難となり大きな話題を呼んでいます。
この奇跡の上演を記念し、上の巻に引き続きお話してみたいと思います。上の巻の上演の際にお話したものはこちらにまとめてあります。
隅田川物の世界
桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)は、大南北と呼ばれた江戸の鬼才・四世鶴屋南北の代表的な作品の一つです。
一言で申せば、愛した稚児を失った高僧・清玄と、自らを犯した釣鐘権助に惚れたお姫様・桜姫が、因果の渦に飲み込まれ転がり落ちていく物語であります。高僧は破戒して怨霊となり、姫は権助によって女郎屋に売られるという、複雑怪奇かつアウトローな世界観が魅力です。
その二では、70年代後半~80年代初頭にかけて起こった演劇史に残るムーブメント「T&T応援団」についてお話いたしました。SNSが発達し同じ趣味趣向を持つ人々の交流が容易になった現代に置き換えても、非常に特異な現象ではないかと思います。
2021年のいま仁左衛門さんと玉三郎さんの「桜姫東文章」を拝見できるのは、もとはと言えばT&T応援団の方々のおかげと言っても過言ではありません。感謝の念を深めております。
源氏雲拾遺 桜人 清玄・さくら姫(部分)一勇斎国芳
国立国会図書館デジタルコレクション
上の巻の上演の際に、物語の下敷きとなっている「清玄桜姫物」の世界についてご紹介いたしました。
実は、桜姫東文章にはもうひとつ「隅田川物」という世界が採用されています。南北は「清玄桜姫物」「隅田川物」を使い、異なる二つの世界を絡み合わせる綯い交ぜ(ないまぜ)という手法を取っているのであります。そんな「隅田川物」とはどういったものかについてご紹介いたします。
歌舞伎や浄瑠璃における「隅田川物」とは、能「隅田川」の梅若伝説をテーマとした作品群のことをいいます。
能「隅田川」のざっくりとした内容はこうです。
①武蔵国の隅田川で、渡し守が船を出そうとしているところへ、人買いにさらわれた我が子を探して狂ってしまった女がやってくる。
②女は船に乗り、在原業平の東下り「名にし負はばいざこと問はむ都鳥」になぞらえて、その心情を吐露する。
③渡し守は船を漕ぎながら、一年前に隅田川の川辺で哀れな最期を遂げた少年の弔いが行われていると話す。
④船が対岸に着くと、その少年こそが女が探していた吉田家の梅若丸であることがわかり、女は塚の前で慟哭する。
⑤女の念仏で塚から梅若丸の幻が現れるが、やがて消えてしまう。
物狂いの女は、我が子を探してはるばる京都から東国の隅田川までやってきて、そこでその死を知らされるのです。この哀れはいつの時代も人の胸を打つものだと思います。
とはいえ、浄瑠璃・歌舞伎の隅田川物の作品群は、狂乱の母だけがテーマではありません。隅田川物のスタイルを決定づけたのは、むしろ近松門左衛門の人形浄瑠璃「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」といえます。
「雙生隅田川」は、吉田家のお家騒動を背景に、双子の兄弟 梅若・松若や人買い惣太が活躍するという段取りの物語です。「桜姫東文章」の桜姫も我が子を探してはいますが、吉田家のお家騒動の方が物語の主軸になっています。桜姫の弟は梅若・松若であり、釣鐘権助実は信夫の惣太と、雙生隅田川のモチーフが随所にありますね。
悲しい母の物語であったはずが、いつの間にお家騒動のお話になってしまったのがおもしろいところだなあと思います。おもしろければオッケーというところでしょうか。
隅田川物の作品は他に、
・「隅田川続俤(ごにちのおもかげ)」(法界坊)
・「都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)」(忍ぶの惣太)
・「隅田川花御所染」(清玄桜姫)
などがあります。
当初のテーマに則った舞踊作品などもさまざまありますので、ぜひ他の作品もチェックなさってみてください。
参考文献:能楽名作選/新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖/櫻姫東文章/日本大百科全書
歌舞伎生世話物研究-『桜姫東文章』・『東海道四谷怪談』について― 渡辺荻乃
歌舞伎・清玄桜姫ものにみる「袖」のはたらき 松葉涼子
清玄桜姫物と『雷神不動北山桜』-『桜姫東文章』の場合- 山川陽子