歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい桜姫東文章 その二十一 ざっくりとしたあらすじ⑮

二十ただいま歌舞伎座で上演中の六月大歌舞伎

第二部「桜姫東文章 下の巻」は、四月に上演された「桜姫東文章 上の巻」の完結編。桜姫東文章は、孝夫時代の仁左衛門さんと玉三郎さんが孝玉コンビとして熱狂を巻き起こした伝説の舞台で、お二人による上演は1985年いらい実に36年ぶり。チケットも入手困難となり大きな話題を呼んでいます。

この奇跡の上演を記念し、上の巻に引き続きお話してみたいと思います。上の巻の上演の際にお話したものはこちらにまとめてあります。

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桜姫東文章とは

桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)は、大南北と呼ばれた江戸の鬼才・四世鶴屋南北の代表的な作品の一つです。

一言で申せば、愛した稚児を失った高僧・清玄と、自らを犯した釣鐘権助に惚れたお姫様・桜姫が、因果の渦に飲み込まれ転がり落ちていく物語であります。高僧は破戒して怨霊となり、姫は権助によって女郎屋に売られるという、複雑怪奇かつアウトローな世界観が魅力です。

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その二では、70年代後半~80年代初頭にかけて起こった演劇史に残るムーブメント「T&T応援団」についてお話いたしました。SNSが発達し同じ趣味趣向を持つ人々の交流が容易になった現代に置き換えても、非常に特異な現象ではないかと思います。

2021年のいま仁左衛門さんと玉三郎さんの「桜姫東文章」を拝見できるのは、もとはと言えばT&T応援団の方々のおかげと言っても過言ではありません。感謝の念を深めております。

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源氏雲拾遺 桜人 清玄・さくら姫(部分)一勇斎国芳
国立国会図書館デジタルコレクション

山の宿町権助住居の場 お十仙太郎の正体

ざっくりとしたあらすじをご紹介しております。初演時写本を補綴なさったという夕陽亭文庫さんの「櫻姫東文章」を参考にしつつ、なるべく今回の上演に即してお話してまいります。多少内容が前後したり、変更があったりする場合がありますがご了承くださいませ。

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⑭では、小塚原の女郎屋で働いていた桜姫が、幽霊騒ぎで権助の住まいへ戻ってきたところまでお話いたしました。「風鈴お姫」と呼ばれて女郎屋で評判を呼んでいる桜姫でしたが、毎晩枕元にお化けが出るので客が嫌がり、女郎屋の親方たちも女衒の勘六も困ってしまっているという状況です。

 

駕籠から降りてきた桜姫は、髪型も身なりもすっかり女郎らしくなっていましたが、言葉遣いはまだお姫様言葉と女郎言葉が混ざっていておかしな感じです。家の隅でお十が赤子に乳を挙げているのを見て、自ら以外の女がいていいものか、薄汚ねぇ乳呑みっ子をどこから連れてきたのだよ、と不快そうにしています。

「自ら」「~たも」などのお姫様言葉と、「よしねえな」などの雑な言葉遣いが巧みに混ざるセリフ回しは、大きな見どころの一つであります。桜姫の生きざまというか、めちゃくちゃな人生が見事に表現されているようで、とてもおもしろいところです。

 

評判であった風鈴お姫ですが、お化け騒ぎで商売にならないのでは店側も困りますから、いっそ夜鷹にして稼がせようという話が持ち上がりました。夜鷹というのは、野外などでゴザを敷いて商売をした最下層の女郎のことです。

それでは権助の面汚しにもなってしまうと考えた勘六が、上手いことを言ってこうして連れて帰ってきてくれたのでした。

 

その上手いことというのは、身代の二十両をそっくり戻してみせます、というもの。しかしながら権助は、既にその金を使ってしまって残っていません。先ほど捨て子を引き取るかわりに三両二分をもらったばかりですが、一文もないと本人は言っています。

そこで、有明仙太郎から二十両のかわりに奪い取ったお十を、桜姫の替え玉として小塚原の女郎屋へやろうという、とんでもない話をまとめてしまいます。

権助からいきなりちょっとの間質草になって下さいよと言われたお十は、江戸っ子らしくこれをさっぱりと受け入れてくれます。冗談じゃないよというところですが。

 

赤子を置いて駕籠に乗り込むお十のもとへ、そっと夫の有明仙太郎がやってきて、去り状を渡します。実はお十は、吉田家に仕えていた奴・軍助の妹有明仙太郎は吉田家の家臣・粟津七郎だったということが二人の会話から明らかになります。

主筋の桜姫を救うため、吉田家再興のため、それぞれが市井の人に身をやつしてそのチャンスをうかがっていたのであります。このお芝居で数少ない善良な人々です。

 

お十を載せた駕籠が小塚原へ向かい、家に残った権助桜姫が寝具に寝転んで何やら話を始めたところで、次回に続きます。 

 

参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖/櫻姫東文章/日本大百科全書

歌舞伎生世話物研究-『桜姫東文章』・『東海道四谷怪談』について― 渡辺荻乃

歌舞伎・清玄桜姫ものにみる「袖」のはたらき 松葉涼子

清玄桜姫物と『雷神不動北山桜』-『桜姫東文章』の場合- 山川陽子

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