ただいま歌舞伎座で上演中の六月大歌舞伎
昼の部、夜の部ともに古典の名作演目が並んでいて盛りだくさんの内容です。古典歌舞伎に興味をお持ちの方には、ぜひにとおすすめしたく思います。
昼の部で上演されている「傾城反魂香」は、生まれながらにある職業上のハンデを、奇跡的に乗り越える夫婦の物語です。今回は夫の浮世又平を中車さんが、妻のおとくを壱太郎さんがお勤めになっています。壱太郎さんは今回、猿之助さんの代役としてのご出演です。
また今回は澤瀉屋ゆかりの三代猿之助四十八撰としての上演ということで、「浮世又平住家」という後日談的な舞踊の場面がある珍しい上演スタイルで、こちらもとても楽しみですね。
「傾城反魂香」については過去に上演された際にいくつかお話したものがあります。何らかのお役に立てればうれしく思います。
傾城反魂香とは
傾城反魂香(けいせいはんごんこう)は1708年(宝永5年)に大坂で人形浄瑠璃として初演され、11年後の1719年(享保4年)に歌舞伎として上演された、比較的古い演目。日本のシェイクスピアとも呼ばれる近松門左衛門の作品です。
吃音症の又平が主人公ということで「吃又(どもまた)」という通称でも知られています。昔使用されていた言葉が通称になっているため、そのままご紹介しております。ご容赦願います。
まずは、本当に簡単に流れだけをまとめたあらすじがこちらです。もっと詳しくお話すべきことがたくさんありますので、機会を見てあらためてお話し直したいと思います。
又平が目指す「御用絵師」とはなにか?
素晴らしい絵の才能を持ちながらも、お土産ものとして売られる「大津絵」を描くばかりで功績を残すことができていない…というのが、この演目における主人公・浮世又平とおとく夫妻の大きな悲しみです。又平が心の底からなりたいと願う「御用絵師」の仕事とは、どれほど立派なものであったのかということをお話しております。
又平が描いている「大津絵」とはなにか?
又平が生業としている「大津絵」は、江戸時代の人々の間でみやげ物として人気を博していました。確かに立派なお屋敷の襖絵などに比べると大きな差のつくお仕事ではありますが、今となっては「大津絵」も貴重な文化財として残されています。
浮世絵とはまたちがう「大津絵」というしなものについてお話した回がこちらです。
今回上演の「浮世又平住家」の場面で役に立つかもしれません。
日本画の流派「土佐派」「狩野派」
又平の師匠である絵師の土佐将監は、名前にも冠しているように「土佐派」と呼ばれる日本画の流派の絵師であります。
芝居の中にはもう一つの流派「狩野派」の狩野雅楽之助も登場します。
二つの流派にはいろいろと特徴がありますので、そちらについてお話いたしました。
又平に元ネタらしき絵師あり
主人公の浮世又平後に土佐又平光起には元ネタと思しき絵師が2人いまして、それぞれについてお話した回をご紹介いたします。内容とは関係がありませんが、個人的にこれを知ったことで演目がよりおもしろくなったなあと感じています。
まず1人目は、又平が授かった名前そのままの土佐光起です。日本画の歴史を変えた偉大なる絵師であります。
そしてもう一人が、奇想の絵師・岩佐又兵衛。ずばり「浮世又兵衛」と呼ばれていた人物です。この方は浮世絵の祖、また大津絵の祖とも言われています。
調べてみますと、岩佐又兵衛自身も芝居のようなドラマチックな人生を歩んでいたのでした。現在も世界中で高く評価され、西洋絵画の歴史をも動かした浮世絵の始祖の可能性があると思うと、どんな状況に置かれても生き残って作品を残さなければならなかった方なのかもしれないなあと運命的なものを感じます。