ただいま大阪松竹座で上演中の七月大歌舞伎!
2019年以来、実に二年ぶりとなる関西・歌舞伎を愛する会の七月大歌舞伎であります。関西・歌舞伎を愛する会は、歌舞伎発祥の地である関西で歌舞伎興行が厳しい状況に置かれてしまっていた時代に、地域での歌舞伎への関心を高め文化を復興を目指して発足されたボランティア団体です。久しぶりの上演で大阪の歌舞伎が再び盛り上がることを願っています。
夜の部で上演されている「恋飛脚大和往来 新口村」ですが、前半部分の「封印切」についておさらいしておくとより楽しめるかと思います。「封印切」については過去に上演された際にいくつかお話したものがありますので、ここにひとつまとめてみます。何らかのお役に立てればうれしく思います。
そもそも恋飛脚大和往来とは
恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい・こいのたよりやまとおうらい)は、1711年(正徳元年)に大坂は竹本座にて初演された近松門左衛門の作品「冥途の飛脚」を、約85年後の1796年(寛政8年)に同じく大坂は角の芝居にて歌舞伎にしたもの。
もともとのお話はざっくりと3つのブロックに分かれており、今月上演されているのはその3つめにあたる「新口村(にのくちむら)」の場面です。
現在では真ん中にあたる「封印切」と3つめにあたる「新口村」の二つの場面が繰り返し上演されています。
ごく簡単な内容
封印切上演の際に、ごく簡単に新口村の内容についてご紹介したのがこちらの回です。
「封印切」のざっくりとしたあらすじ
今月の上演内容とは違いますが、前の場面にあたる「封印切」の場面のざっくりとしたあらすじをお話したのがこちらの回です。忠兵衛と梅川の二人は一体どういった事情で新口村へ来たのか…ということがわかりやすくなるかと思います!
忠兵衛が失ったもの
新口村では既にお尋ね者となっている忠兵衛ですが、現代の感覚ではその罪の度合いがわかりにくいかもしれません。忠兵衛がしてしまったことがどういった意味を持つのかということをお話したのがこちらの回です。
現代では銀行員が女性のために多額のお金を横領したとしても死刑にまでなることはまず考えられませんが、江戸時代当時においては非常に重い罪でした。新口村の場面の悲しさはその前提で作られています。