歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい御存 鈴ヶ森 その十 辻斬り不良少年権八と遊女小紫

現在歌舞伎座で上演されている七月大歌舞伎

第二部で上演されている「御存 鈴ヶ森」は、菊之助さんの白井権八に吉右衛門さん代役の錦之助さんの幡随院長兵衛という配役。闇夜に浮かび上がるような美しさでした。

濃厚接触者にあたる可能性があり大事を取って休演されていた片岡亀蔵さんも、16日より舞台に復帰なさっています。ご無事で何よりです!

 

御存 鈴ヶ森」は、上演頻度の高い演目ゆえ過去にもお話したものがあります。下記の通り先日まとめましたが、肝心の内容についてはあまりお話していませんでした。

今月少しばかりお話を足していきたいと思います。何らかのお役に立てればうれしく思います!

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辻斬り不良少年権八と遊女小紫

御存 鈴ヶ森(ごぞんじすずがもり)は、大きな物語的展開は特にないにもかかわらず、200年近く愛され続けているという歌舞伎らしい不思議な魅力にあふれた演目です。

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国立国会図書館デジタルコレクション 豊国「東海道五十三次の内 川崎駅 白井権八」

文政6年(1823)江戸は市村座で初演された、四世鶴屋南北作「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)」の二幕目にあたる部分です。

もともとは享和3年(1803)江戸は中村座にて初演された初世桜田治助作「幡随院長兵衛精進俎板(しょうじんまないた)」の一幕であったところを、大南北と呼ばれた名作者の鶴屋南北がカッコよく仕上げたといったところでしょうか。

 

お尋ね者の若衆が治安の悪そうな薄暗い道に通りかかり、

案の定、強盗まがいのことをしている男たちにつかまってしまうが、

すばらしい腕前で男どもを散々に斬り倒してしまった。

と、そこへたまたま通りかかった苦み走った男が駕籠から顔を出し、

「お若えの、お待ちなせえやし…」と話しかける。

若い男は「待てとお止めなされしは…」と答えて云々…

という、二人の男の出会いを描いたワンシーンだけのお芝居なのに、とにかくカッコいいので人気があります。

 

「御存(ごぞんじ)」と冠されているのは「皆さんお馴染みのアレですよ」という意味合いのようで、観客が全てを知っている前提でノーヒントのまま芝居が進んでいきますが、2021年においても皆さんお馴染みなのかというとそうとも言えないのではないかと思います。そこで、ここまでゆっくりとあらすじをお話してまいりました。

 

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芝居で人気を博し江戸でお馴染みの美しき不良少年となった「お若えの」こと白井権八ですが、そのモデルとなった平井権八も大変興味深い人物であり、恋人の小紫とともに江戸の人々の興味関心の対象であったようですのでひとつご紹介いたします。

 

平井権八は、延宝3年(1675)11月3日に鈴ヶ森の刑場で磔刑に処せられた人物です。

もとは剣術自慢の因幡鳥取藩士であった権八は、どういうわけか父の同僚である本庄助太夫なる人物を斬り殺してしまい、鳥取を出て江戸へやってきました。

そして吉原三浦屋の小紫(こむらさき)という遊女と馴染みになってお金に困り、権八は揚げ代のために辻斬りによる強盗殺人を繰り返してしまいます。

実録小説『幡随院長兵衛』によれば、権八が江戸へ出て5年間のあいだに「刀にかけたる人の数、手帳に留めたる分のみにても百三十二人」ということで、数字はおそらく誇張されているとは思われますが恐ろしい辻斬り犯であったことが伺えます。

指名手配犯となってしまった権八は自首しますが、小紫に会うために手鎖を外して脱走などを試み、ついに処刑されてしまいます。

 

権八の処刑後、権八が自分のために重ねた罪を知った小紫は、悲しいことに目黒東昌寺におかれた権八の墓の前で自ら命を絶ってしまったのでした。

東昌寺のお坊さんは、この地に「比翼塚」を建立して二人を弔いました。比翼塚というのは心中したりして命を落としたカップルの遺体を一緒に葬った塚ことです。権八小紫の比翼塚は現在も下目黒に残されており、役者さんが参拝に訪れることもあるようですよ。

 

ちなみに、舞台の上の「南無妙法蓮華経」と書かれた巨大な石は、平井権八が処刑された時の鈴ヶ森にはまだ建立されていなかったものだそうです。さらに、年代的に幡随院長兵衛と出会っていたはずがないこともわかっています。

しかし美少年の大量殺人犯というモチーフの魅力から、男気溢れる侠客の幡随院長兵衛との男色めいた芝居づくりがなされるなどして現在に至ります。

 

参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖/江戸の事件現場を歩く/歌舞伎の名セリフ/馬琴と権八小紫 内田保廣/歌舞伎登場人物事典/立命館大学

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